第七議会

画面をみっちり文字で埋める系オタクの感情のたまり場

何故わたしはSixTONESのNAVIGATOR収録曲You & I を聴いて泣くのか

元来自分の感情や情動をうまく言語化して表出できたためしがないのでうまく書けるかわからないし(たぶんうまく書けない)、書けたところであんまりよくわからない文章にしかならない気が多分にするけれども書いておきたいので書いておこうと思う。何故わたしはYou & I を聴いて泣くのか。


去る2020年7月21日、多くのSixTONESファンが心を躍らせたことだろう。全世界待望のSixTONESセカンドシングル「NAVIGATOR」のフラゲ日。かく言うわたしもスマホにどんどん舞い込む出荷完了・配達完了メールの整理に追われながら、それはそれは心を躍らせてコンビニに向かったものである。この日のためにこつこつ貯めたお金を握りしめて、まるで初めてCDを買いに行った時のような初々しい気持ちでCDの入った包みを受け取った。あの時の高揚感たるや、きっと一生忘れないと思う。今この瞬間この世界はこのCDを持っているこのわたしを中心に回っている。そんな感覚。


家に帰って丁寧に包装を剥がしてさてどれから観よう(聴こう)と考え込んだ。ミュージック・ビデオがやばいのはよく考えなくてもわかる。わたしはあの数十秒にも満たぬティーザーだけでクソ長ブログ(これ→https://koukei.hatenadiary.com/entry/2020/05/31/152423)をあつらえた超こじらせ型のオタクなので、ミュージック・ビデオを観た瞬間、もっと言うなら二番に存在すると言うスーパー髙地タイムなるものを目の当たりにした瞬間が確実にわたしの命日だ。きっと全ての細胞が灰のごとく散り散りに霧散し、何も考えられなくなってしまうだろう。それだけは避けたかった。わたしはSixTONESの音楽をなるたけ平穏な状態で、ちゃんともろもろの機能が正常に作動する状態で楽しみたかった。ビデオで視覚と聴覚を殺されることは確定事項だったので、とりあえず通常盤収録の4曲を聴いてちゃんと味わって咀嚼してそうして聴覚をしっかりすっかり殺してからビデオに臨もう。そしたらたぶんそれの持つ殺傷力もいくらか減るだろう、といういかにも頭の悪いオタクの無駄な足掻きを思いついた。そんなわけでわたしはすっかり部屋の隅に放置されていた黒いCDプレイヤーを引っ張り出して、通常盤のディスクをセットした。


NAVIGATORとHysteriaの感想は一旦省かせていただきたい。本当に素晴らしい楽曲と素晴らしい歌声だったが、今の本題はこの二曲ではない。三曲めのYou & I、この曲を聴き終わった瞬間に何故か涙が出た。 

たぶんあの曲はそんな号泣を誘うタイプの曲ではない。むしろ初回盤収録の光る、兆しを聴いて泣くのがたぶんただしいSixTONESファンというものなのだろう、でもなぜかわたしはYou & Iを聴くたびに泣いてしまうのだ。通常盤を買ってくれた中華アイドル沼にいる友人にその旨をラインで送ると共感は得られなかった。え、もしかしてYou & I聴いて号泣してるのわたしだけ?


どうしてわたしはYou & Iを聴いて泣くのだろう。曲としてはすごく明るい曲調だ。コールやフェイクをふんだんに使った音の多い曲。前向きな歌詞と、希望に満ち溢れたボーカルと、透明感のあるサウンド。あの曲はファンに向けてのラブソング、というどなたかのブログも拝見した。その通り、すごく明るくて、さわやかで、光に満ち溢れた、すてきな曲だ。薄暗いこともほのぐらいことも書いてない、前向きで背中を押してくれる曲だ。わたしたちの手をやさしく引いてひかりの満ちた美しい場所に案内してくれそうな曲だ。でも泣く。何故か泣く。どうしてだかいつも泣いてしまう。You & Iの、6人の明るい歌声を聴くたびに、どうしようもなく切なくなって涙が出てくる。


少し話はそれるのだけれど、わたしは美術鑑賞が趣味で、よく美術館の展覧会に出かけては絵画を観ている。学生はだいたいどこの美術館も無料で観覧させてもらえるのでその特権をフルに活用して、コロナが流行りだす前は暇さえあれば美術館に行って企画展やら常設展やらに入り浸っていた。美術はとても良い芸術だと思う。その画家がどんな風に世界を観ていたのか、その画家の目にはどんな風にこの世界が映っていたのかをあんなにダイレクトに知ることができる手段はなかなかない。

で、割と日本人にありがちだけれどわたしは印象派の、特にゴッホの作品が好きだった。まあ日本人はだいたいフェルメールゴッホダ・ヴィンチが好きだ。自慢にしやすいからね。兎にも角にもわたしはゴッホの作品が好きで、でも唯一、ひまわりだけが苦手だった(ちなみに好きなゴッホは『花咲く桃の木』です。うん、だれもしらないね)。笑ってしまう。ゴッホの代表作といえばひまわりだけれど、わたしはそのひまわりが苦手なのだ。だって不安になるから。

ひまわりの描かれた画面はとても明るい。世界をひかりの粒と捉えたゴッホの作品群の中でも飛び抜けてひかりの度合いが強い。主張しすぎるほどの黄色と、画面いっぱいに描かれた大輪のひまわり。ほとんど暖色だけで構成された画面はむせ返るほどの温度に満ちている。狭い額縁の中で精一杯くきをのばすひまわりは希望の象徴だ。ゴッホはこの絵の中に持ちうる限りの希望をつめこんだ。絵の具をカンバスに盛るように塗りつけて、希望が絵から逃げて行かないようにたんねんに描いた。おかげでひまわりの絵の中は希望と光で満ち満ちている。過ぎるほどに。そう、過ぎるほどに。


必要以上に迫られた希望。


人ってわがままな生き物で、不安過ぎても生きていけないくせに希望ばかりが目についてもかえって不安になってくる。ひまわりを観ているとわたしはすごく不安になるのだ。この絵の中の希望はあまりにも主張が強過ぎる。過ぎる希望はかえって人を不安にさせる。わたしは光に満ち溢れた世界を、希望と平和の象徴であるひまわりを観ているはずなのに、どうしてだかものすごく不安になるのだ。


その感覚がYou & Iにとても似ている。


べつにYou & I に希望がつまり過ぎてるわけではない。明る過ぎるから泣くわけでも、この場合はたぶんちょっと違う。何故わたしはこの曲を聴いて泣くのか。何がそんなに切なくなるのか。

たぶん、あんまりにも透明だからだと思う。

透き通ってるのだ。何もかもが。サウンドも、ボーカルも、その他もろもろ、この曲を作り上げているすべてが。あまりにも透明で、だから今にも空気の中に溶け込んで姿を消してしまいそうで怖い。手を繋いでまぶしいひかりの中に入っていって、そのまま帰ってこないんじゃないかと思ってしまうような。刹那的。そう、刹那的なのだ。一瞬で消えてしまう木漏れ日のような、夏の真昼に見るもやのかかった夢のような、まどろみの中に溶けていくすこし湿度の高い風のような、そういうすぐに消えてしまううつくしいものだけが持っている透明感が、あの曲にはある。ありすぎる。あまりにも純粋で純真だから、脆くて儚くて移ろいやすくて、かき氷とか砂糖菓子みたいにすぐにほろりと崩れて無くなってしまうんじゃないか、と思ってしまう。あんまりにも透明で、透度がたかすぎて、すぐに存在もわからなくなってしまうような。透明人間みたいに。ガラスを空にかざした時に、輪郭がすぐににじんでしまうように。海と空の境界線なんてすぐに消えてしまうように。


あの曲は、たのしくて、明るくて、やさしくそっと手をにぎってくれるような曲で、透き通っていて、だからこそ儚くて、刹那的で、一瞬のきらめきに満ちているとわたしは思うのだ。考えすぎかな。うん、たぶん考えすぎだ。でもその切なさに、切ないがゆえのうつくしさやきらめきがあんまりにもまばゆくて、わたしはきっとこれからもYou & Iを聴くたびに涙ぐんでしまうのだと思う。