第七議会

画面をみっちり文字で埋める系オタクの感情のたまり場

断末魔書き留め



これはティザー映像のみを見たオタクの発狂ツイートのかずかずのまとめです。

ミュージック・ビデオ長尺解禁前、解禁ワイドショーも見ないようにして書いたので、もろもろ主観です。

発狂オタクによる断末魔の書き留めなため、整合性はないです。あしからず。





 

10月20日

突如としてわたしのカレンダーに最重要予定日として設定されたその日は、SixTONESの3rdシングル「NEW ERA」ミュージック・ビデオ初解禁日を意味する。


……嘘でしょ?はやくない?


さる10月17日。忘れもしない、あれは土曜日。忘れるわけがない、わたしは模試だった。おひる食べてから模試に行くため電車乗って、ほんであと一駅で着くからな〜とか呑気に思いながらツイッター開いたら飛び込んできたのが屍累々阿鼻叫喚のTLである。強烈なデジャヴを感じた、そうNAVIGATOR。あのときの深夜もそうだった。TLは爆速で更地にされ、オタクは皆歓喜と困惑をうめき声として横たわるしかなくなるこの光景。あまりにも見覚えがありすぎたし、これはSixTONESの得意技である。なんせ彼らはオタク虐殺計画を忠実に遂行してるので…(?)


しかしこの時点ではいまだに何が発生したのかわたしにははっきりとわかっていなかった。そうそして、飛び込んできたのである。あれがーーーー


https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299297310760966?s=20


……お分りいただけただろうか。


わたしは模試の直前である。模試の直前なんだ、なのにこんなに美しい田中樹を浴びてしまった。まあ結果は推して知るべしである。来月配点表受け取りに行くのが怖い。まあわたしの模試のことはいいんです、べつに…


こんなに美しい田中樹をわたしは知らない。

わたしはつねづね「田中って気を抜いてるときがいちばんきれいだよな」「田中ってあんがいきれいな顔してるんだよな」といったふうに田中のことを「きれい」と評する。田中はきれいな人だからだ。美しい人、というよりも、きれいな人、だからだ。でもこの田中は違う。本当に美しい。ほんでもって誰も見たことのない田中がいる。

ラップ部分はいいんですよ、圧倒的にどこまでもどうしたって好戦的なので。腕の振りが完全に挑発的だし煽ってる。この田中は知ってる。この、挑発と諦観を交互に滲ませつつ退廃的な色香に満ちた顔でことばをはなつ田中は知ってる。そうこのティザーの田中の怖いところは、「誰もが知ってる田中樹」と「誰も知らない田中樹」を自在に行き来するところだ。相対者にむかって煽るという「知ってる田中」と、孤独を、孤独のままそこにただ存在してる「知らない田中」。そんなの情緒で殴られる。さっきまでバチクソこちらを煽ってたやつがいきなりガラス玉みたいな目をして自然の中にひとりぽつんと存在してるこの現象に耐えられるオタクなんているんだろうか?ひとりで海のほとりに立つ田中樹、どうしようもなく孤独だけれど、本当に、この世の終わりみたいに美しい。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299298032386049?s=20



髙地さん!?!?ハ!?!?!?アンタ誰だよ!!!!!!!!!!(失礼)


自担決定のはなしをまだしてなかったんですが、わたし結局「誰かひとり」を決められなかったクチで、Amazing!!!!!!のパフォーマンス動画でいちばん心に残った人を担当としよう!と決め、その結果が髙地さんの横顔だったので髙地担を名乗ってるだけのなんちゃって髙地担なんですが、あの、わたしの知ってる髙地さんって、メチャクチャひたむきで、まっすぐな目線でスポットライトを浴びて、ただただ一途に歌を歌って踊ってる人なんですよ。わたしは彼のそういう横顔を好きになって、いちおう髙地担を名乗らせていただく次第となっているんですけれども。たまにハマだし縄持つとSだし良い人には違いないのに絶対裏があるだろって思わせる独特の空気があるしナビゲのころからだんだん数多の組織をすでに潰してきました感満載になってきたけれども、わたしの知ってる髙地さんは、少なくともそういう顔をしてパフォーマンスをする方だったんですけれども。


...............................................いやアンタ誰だよ。(失礼)(2回目)


イヤほんと誰????こんな髙地さん少なくともわたしは知らないぞ。彼は「かわいい」と「怖いくらいにカッコ良い」を行き来する人だと思ってたんだけどこの髙地さん、完全に異質じゃん。異質で異常なほどに温度がないし、無感情だし、虐殺や殺戮や崩壊や裏切りやそういうもろもろをすべて経験し尽くして、戦場としての役割を終えた土地の上、流されたばかりの血や散ったばかりの魂になんて全く興味関心も抱かずただただなんにもないところでなんにも感じ取れませんって感じにふらふら歩いてる感じの髙地さんじゃん。なにもかものすべてが終わってふるい帝国が崩壊して、はじけたいのちのことなんて全く意に介さずにむしろそんな塵芥のようないのちのことなんてとうの昔に忘却してなんでもないふつうの顔して血の海の中ほっつき歩いてる髙地さんじゃん。目があおうが目があわまいが同じ空間に存在してるだけで問答無用で殺されるやつじゃん。いちばん反逆者の顔してるじゃん。あのですね、この人この間バラエティでうんこのかぶりものして「あざとい〜!」だの「かわいい〜!」だのといじられてた人と同一人物らしいですよ。ハ???嘘でしょ????髙地優吾って何人居るんですか?田中といい髙地さんといい、ジャニーズに入るには分身の術かなんかを身につけてることが必須なんですか?式神使いが必修科目なんですか?どうなってるんだ。一体髙地優吾はこの世界に何人居るんだ?これは永遠の命題か。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299298032254976?s=20



あとさァ〜〜ほんとさ〜〜〜〜、ナビゲんときも思ったけどまつむらは、こと「曲を生きる」という点に関してどうしてあれほどまでに""""天才""""なわけ???

髙地さんがいのちにも環境にも無関心な反逆者とするならこのまつむらはまるで真逆。戦場としての役目を終えた広い土地の血の海の中に膝をついて、はじけたいのちや人々のさけびをすべてとかした空気にふれて、しずかに手をかかげて祈りを捧げているかんじする。そう、まつむらだけ、まつむらだけが、ひかりに溶けていきそうなんだ。輪郭がぶれてにじんで今にもひかりのなかに同化していきそうなほど、まっしろで透明なまま。このまつむらは存在として敬虔だ。限りなく天にちかい場所、この世界の中でもっとも天にちかづける場所に立ち、この広くてせまい世界を見渡して、神と同じ視点に立って、跪いて手をかかげて祈りを捧げている感じがする。あまりにも神聖な世界をつくりだしてる。ただひとりだけ輪郭が消え入りそうな、それでもたしかな意思と闘志をその瞳につよく宿して自然の中に立つきみ、その髪のなびきすら意のままのよう、本当に、彼は表現することが似合う男だよ。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299294676766720?s=20




対して京本さんは絶対に輪郭をにじませない。自然という、古来より日本人にとっての信仰の対象、あるいは神と同義である存在のどまんなかにあって、それでもなお「京本大我」としての輪郭、存在を完璧に保ちつつ立っている彼。あの広大で雄大で強大で、どこまでもはてしなくつづく木々と世界と空と海の中にあって確固たる「京本大我」を成立させる彼。それらの途方も無い質量を持つものをまとうことにより、むしろその輪郭をよりいっそう際立たせる彼。まつむらと京本さんの表現の違い、美しさの違いを見るのはわたしは大好きなんだが、このティザー、その違いが明確に現れてたなと思う。まつむらは曲の中の人物として曲の中に存在し、京本さんは「京本大我」として曲の中に立つ。まつむらは曲を生きる人。京本さんは曲を支配する人。どちらもひとしく「表現」という美しさのなかに生きようと決意した人たちだし、その様がほんとうにまばゆく、まぶしく、どこまでも美しい。

あと感情を爆発させてるところな…今までたくさんの人の感情の発露を見てきたけれども、あんなに美しく世界や現実に向けて吠える人を初めて見た。指先の美しさは言わずもがな、そして美しさと儚さと力強さと芯の強さを同時多発的に雰囲気に内包するの、ほんとずるいと思う。そんなん大好きである。それが絵画のごとき美しさとなり、その上で斜光と静寂に包まれるの、ほんとうに、あなたのために世界があるのよってかんじだな……



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299294827728898?s=20




慎ちゃんと自然の調和ヤバくないですか???ていうか彼の持つ、強引でもなく軟弱でもなく気づいたら彼に従っちゃうような柔軟な支配力ヤバくないですか????かろやかに舞うおおきなからだとそよぐ風とひかる海、ぬける空、たなびく旗、もう もう もうですよ もうですね、世界の構築物すべてが森本慎太郎のバックダンサーですよ……すべてが彼の魅力やうつくしさを際立たせるための舞台装置です。ジェイクスピアはこの世全てが一つの舞台と皮肉屋の価値を借りてこの世界を評したが、それはある意味ただしいと言えるような気がしてきた。ていうか本当に慎ちゃんがきれいだ。慎ちゃんと大自然の調和、あるいは共存、あまりにも相性が良くて気絶してしまうな。無邪気な少年と美しい青年、あるいはおもちゃに夢中になる底抜けの明るさとおもちゃにも遊びにも飽きてしまった諦観、あんなにも美しく絶妙なラインと塩梅で共存するものなの?たったひとりのなかに?たったひとりのにんげんのなかに、それらすべて、帰着するものなんだろうか?あまりにも その 泣いてしまうほどに、それは純粋すぎやしないか。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299292806152192?s=20




そして彼が結局かみさまなのである。いやたぶん彼は、自分をかみさまって思われるのはすごい嫌だろうけど、それでもどうしようもなくかみさまに思えてしまう。光につつまれながら「All right,Welcome to "NEW ERA"」って言うのは。彼が世界をこしらえたのだ。彼が愛して彼が信じる最高で最強の仲間たちと一緒に、そこにひとつ世界をあつらえたのだ。だからそう、そこに、ようこそ俺たちの国へ時代へと、呼んでいるんですか?そうなんですか?

なんかもう自然の中に存在してるジェシーがあまりにもおおきな存在すぎて、もはや直視しがたいのである。この人はこんなにおおきな背中で、こんなにすべてのものをつつみこんでしまうほどにおおきな人だっただろうか。こんなにかみさまみたいな人だっただろうか。どうしようもなく、侵しがたく、なにものにも染まらず世界の中心に腰掛けられる、あるいは旗を立てられる、その権利をもつのは彼だけだ。彼は世界に愛されている。彼が世界に愛されている。



なんというかですね。Imitation rainもNAVIGATORも、誰かの・なにかの・思惑・権力に沿ってつくられた世界、にとじこめられた、あるいは逆らおうとするSixTONESだったからCGとの融合がドチャハチャメチャにマッチしたけれど、NEW ERAはそういう今まで自分たちをぐるりとかこっていた旧世界の壁や境界や見えない檻をすべて壊して破壊して、そのせまい世界から飛び出して、新しい時代、新しい世界、とじこめられたあんな息苦しい世界ではなくもっとひろくて光に満ちた世界を生きることを渇望して、原始の方法による建築、ここが俺たちによる新しい国だと宣言するが如く臙脂色の(臙脂色ってほぼ濃い紅色なんでうちの象徴のメンバーカラーとほぼ同じじゃないですか)旗を立て、なんの障壁も障害も遮るものも存在しない世界で踊り狂い歌い明かすの、これまでの、そしてこれからの楽曲の連続性があまりにも完璧である。ていうかいまだかつてここまで宗教のにおいの強いミュージック・ビデオ出したアイドルが居るか?????わたしのしるかぎりにおいては居ないぞ。ほんと毎回「カッコ良いとはこういうことさ」を地で行くために紅の豚か?って錯覚する。あの広大な自然に呑ませずに確固たる存在と支配力で以て建国と新時代の到来を宣言するSixTONES、本当に、たがわず彼らが旧時代への反逆者であり新時代の開拓者。