第七議会

画面をみっちり文字で埋める系オタクの感情のたまり場

1STの各盤共通10曲を聴いて

 

youtu.be

 

なんかやべえもん聴いた。

 SixTONESのファースト・アルバムを聴き終わった感想はもうこれに尽きる。聴いている最中何度も「そう来たか!」と膝を叩いたし、その表現力のふり幅にこうべを垂れ、あふれ出る""""帝国の王""""感に跪き、上質な絹糸がごときなめらかな旋律に心打たれた。目まぐるしく変わる声の表情それはさながら万華鏡、どんなジャンルも変幻自在に歌いこなし自分たち色に染め上げる。なにかとてつもなく得体のしれない、それでいて魅力的で抗いがたい光をはなつ人たちだと思う。そういう人の作る音楽は往々にして魂のかけらだけで出来ている。とにかく、涙が出るほど誠実で、笑っちゃうぐらいに最強で、どれが彼らの本当の顔かなんて皆目見当つかないのにどのトラックを再生しても必ずあの6人に会えるのである。なんつーチートだ。こんなん反則技もいいところである。

 さてそんな珠玉の一枚、ジャンルの壁もアイドルへの偏見もまとめて全部ぶっこわす最終兵器初手から切り札SixTONESによる「1ST」の各形態共通収録曲を聴いた感想を恐れ多くもド新規オタクがつらつら書いていこうと思います。がしかし当方幼少よりピアノとクラリネットと声楽を習っていたはいいものの実践ばかりで全く座学を履修しなかったタイプの人間なので俗に言われるオンガクテキキョウヨウなるものをかけらも持ち合わせちゃございません。そこのところはどうかご承知おきいただきたいと思います。

 

 

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 (ていうかふつうにご本人による解説聴きゃいい話じゃん)(これがタダで聴けるの最早違法だと思う)

 

www.sixtones.jp

(そういやご本人たちによるセルフライナーノーツもあったな)(このコンテンツの充実ぶりよ)(いつ課税を促されても二つ返事で頷いちゃうわこんなん)

 

 

1.ST 

 

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 「SixTONES最“叫”キラーチューン」と銘打ち、ミュージック・ビデオも制作された本アルバムのリード曲。個人的にメチャクチャ好きです、どう足掻いても名曲だと思う。いや全曲そうなんだけど。なんだか音のひとつひとつ、言葉のひとつひとつに熱が宿っている気がするのだ。歌詞の言葉はすごく強くて、あまりに強くて、置いていかれそうなほど乱暴なまでに強いけれども、その底に諦観や挫折や辛酸や、そういうものがひろくながく横たわっていて、己と言う存在のあまりにちっぽけで弱いことに打ちひしがれて、みずからを取り巻く世界のあまりに大きいことを目の当たりにして、果てしない地平のうえの自分の弱さ、そういったものを突き付けられて、何度も絶望して膝を折りそうになって、それでも光を諦められなくて、地に這いつくばりながら泥の中を進みながら傷だらけになりながらそれでもこうしてここまで来た、そういう眼光だけの意思のようなものがほとばしっている。とてももろくてひとつ間違えれば何もかもが瓦解してしまいかねない弱さを抱えた強さを含有した曲だと思う。そしてそういう曲を歌えることが彼らのあまりに真摯なところというか。普通こういう曲って薄っぺらく聞こえるように思う。なぜならば先述の通りあまりに言葉が強いので。強い言葉とは非常にわかりやすいものだけれど、ゆえにその真価をどこまでも見透かしやすいものでもある。でも彼らはこの曲を背負って立てる。この曲に宿った刹那の熱にその身を焼かれず、この曲の言葉を自らの言葉として、この曲の熱を自らの熱として、この曲の強さを自らの強さとして歌うことができる。それはとても特異なことである気がする。己の弱さを突き付けられてなお、この世界の広さに絶望してなお、それでも強さを希求し、それでも強さを渇望し、たとえ今自分がどんなに弱くとも懸命に果敢に強く在らんともがき足掻き叫ぶさま、それが、あまりに彼らの生きざまと重なる。というか彼らそのものだと思う。なんていとしくてどうしようもないいきものだろうか。この曲を聴くといつも目の前に彼らのゆびさきが見えるような気がする。喉を枯らすように喉が千切れるほどにがむしゃらにひたすらに叫ぶ彼らの、その傷だらけのゆびさきが、ひたすらに光をつかもうと伸ばされた傷だらけのゆびさきが見える。そのなんとうつくしいことか。時代の荒波のそのなかで、うつくしく強く在らんとする彼らにのみ許された一瞬の、そのあまりにも鮮烈で儚い輝き、そればかりでできているような曲だと思う。刹那の熱。そう、刹那の熱だ、祈りだ選手宣誓だ、宣戦布告だ、決意表明だ。過去の偉大なる先輩方が作って来た栄光の道をあえて行かず、茨道を行く彼ら。その痛みすら楽しもうとする彼らである。この先の長い長い旅の中できっとたくさんの壁にぶつかることだろう、迂回すら許されないときがきっと必ずあるだろう、そのときに彼ら自身をも救ってくれるであろう、いつまでも冷めない刹那の熱がこの曲には宿っている。

 

 

2.NAVIGATOR  

 

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 待望のセカンド・シングルとして2020年7月22日にリリースされた楽曲。ノイタミナ枠アニメ「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」のオープニング・テーマに使用されていた。個人的にあのアニメはマジで続編を望んでいる。顔の良い男が周囲を容赦なく配慮なくブン回していく様は何次元であろうといつでもオタクの大好物である(いちいち主語がデカい)。

 この楽曲については以前メンバーの田中樹が「自分自身のどの瞬間にもマッチしない異物として楽しんでほしい*1」と言っていたけれどまさにその通りだと思う。これはアルバムを聴き進めればわかることなんだけれどもマリー・アントワネットのドレスもかくやと思うほどの特大ボリュームを誇るこのアルバムのこのラインナップ、にすら溶け込まず異色を放ち続けるこの曲の「異質」さはもはや異常である。ストリングスの持つ重厚感と半音下降音階の妙を組み合わせたイントロによって演出される不穏は言うまでもなく極上。ボーカルラインが始まったと同時にサイレンが如く打ち鳴らされるティンパニがその不穏を引き継ぎ、明るさを微塵も感じさせないままサビへと突入するこの曲のつくりは聴くたびに見事だと思う。全く一筋縄ではいかない楽曲。ていうか序盤で作り上げた不穏の色を全く薄めずに最終盤まで走り抜けるの、どういうからくり?不穏と疾走感ってこんなにも心地よく共存可能だっただろうか?これがセカンド・シングルってのがもはや恐ろしい。完成度がエグい。あとこれは本当にラップが良い味だしてると思う。個人的に京本さんの「The ray of hope will be flaming(希望の光はじき燃え上がるだろう)」に田中が「Oh,flaming(そうさ、燃え上がっている)」って呼応するところがここだけで白米3杯はいけるほどに好き。

 そして例に漏れず歌詞が良い。本当に歌詞が良い。この一見ひねくれた、その実ひどくまっすぐで切実な歌詞が良い。「疑えるか 見慣れたNAVIGATOR」の一節が嫌いなオタクなんているんだろうか。「夜を駆けるか 夜明けに賭けるか」の一節にかつての中二心をくすぐられないオタクなんているんだろうか。「闇行かねば 道は拓けぬか」の一節に泣きたくなるほどの青さをおぼえないオタクなんているんだろうか。いないだろ(過言)(しかし断言)。京本さんが以前、the pillowsの『ストレンジ カメレオン』をして「この歌詞は自分で書きたかったと嫉妬するぐらい大好きな言葉がたくさん詰まっている」とおっしゃっていたが、わたしに言わせればNAVIGATORの歌詞はわたしが書きたかったぐらいわたしの好きな言葉のみで構成されてるよ。全世界のオタク、今すぐ「SixTONES NAVIGATOR 歌詞」でググってくれ。絶対に好きな言葉を発掘できるはずだ。

 それから終わり方が見事である。曲が終わるからと言ってこの曲の主人公の不穏に満ちた旅が終わるわけでなし(というかむしろこれから始まると言ってもよい)、すべての音符が磁石に吸い寄せられるがごとき逆再生で以て終わる。最後の最後まで不穏と疾走感の相互扶助がお見事である。この曲、とてつもないレベルの芸術品だと思う。この世界を疑い世界をあざ笑い世界に促し世界を駆ける主人公が未踏を進んで一体どこにたどり着くのか全く予測できないしわからないんだけれども、そのわからなさ掴めなさ不安定さにこそどうしようもなく惹きつけられるという点においてこの上もなく「SixTONESらしい」一曲。

 

 

3.Special Order 

 イントロが「SixTONESオールナイトニッポン サタデースペシャル」で公開された時、あれは深夜だったが脳細胞のひとつひとつがさながらミニオンによる大合唱のように「好き!好き!」とけたたましく騒ぎ出して眠れなくなった。魔曲である。こんなん人類全員もれなくブチ上がること請け合いのドウアガイタッテ・名曲である。ていうかたしかに「SixTONESの真骨頂でもあるワイルドに魅せるダンスチューン」と銘打たれてたのは知ってるけどもさ、ンだどもさ、ここまでイカれてるとは思わないじゃん(歓喜)(褒めてる)ていうか真骨頂ってこういうことかよ。この世に存在するどんな強い概念だってこの人たちの前じゃカタ無しさ。ことごとくすべてをなぎ倒し「俺たちSixTONESだけどなんか文句ある?」って不敵に笑うやつじゃん。右から左まで力づくで制覇して制圧するやつじゃん。ナポレオンだって傅くわ。あとこれが映画になったとき(映画になったとき???)ぜったいにキャッチコピーに「この男たち、SixTONESにつき。」って出るやつじゃん。最高じゃん。

 というかサウンドの組み合わせ方がどこまでも拍手ものなのよね。サビの電子音連打からは想像もつかないこのオリエンタルなイントロ!こういうのを攻撃的な和洋折衷っていうんだろうか。あとあまりにボーカルの配置が優れている。冒頭の髙地さん、考え得る限りのさわやかさと人懐っこさを排除して不敵さと不気味さと読めなさばかりで声を構成しているので、禁じられた洞穴の向こうの怪しげな遊びに招き入れる縄師感マシマシで困ってしまう。この人がこういうふうに歌うときは絶対に""""優勝""""であると相場が決まっている。この人は存在もそうだが特に声に不思議な力があって、絶対怪しいし危ないしついていっちゃいけないけれどもどうしようもなく惹きつけられてしまう魅力を持っている。その声をこんなふうに活用するってことは限りなくこれは名曲なのさ…次いで森本慎太郎氏の適度に少年性を残した、ゆえに危なっかしさと悪ガキ感の倍増した声がつなぎ、もはや挑発的にも思えるジェシーがシメる。完璧である。しかも慎太郎氏の何が良いって、この綱渡りみたいな状況を明らかにたのしんでおもしろがってる感じがバチバチするところである。こいつぁいけねえぜ。なんでこんなにこの人たち不穏と退廃と空虚な熱狂が似合うんだろうか。かみさまみたいにやさしくておおきくてすべてを包み込むジェシーが「Haters, come on!」って叫ぶのもあまりに良い。あとサビが音サビなのも最高である。根がPerfumeとテクノ・ポップのオタクなので、「ここまで来たら中田ヤスタカまであと一跳びじゃん…」となってグフグフ笑ってた。絶対に中田ヤスタカSixTONESに楽曲提供してほしい。とりあえず彼が外部のアーティストに提供した最高で最強な3曲置いときます。おすすめは圧倒的「ぴこぴこ東京」。明らかなる名曲。

 

 

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 話がそれた。この曲は最終盤に向けて勢いよくこれ以上ない盛り上がりを見せるタイプの曲である。どんどん殺意と挑発と闘志の含有量を増大させがなり声に近くなっていく田中樹のラップ、それに高らかに呼応する京本さんの高貴なる高音!SixTONESの治安悪い曲が治安の悪さ一辺倒にならないのは圧倒的京本さんの功績だと思う。加速していく曲の白熱度とは裏腹な、繰り返される「La…」における冷めた松村北斗氏の低音が良い。頭を空っぽにして騒ぎつつ、その実頭の片隅で現在の狂騒を冷静に観察してる人物がいる感覚を味わえる。メンバーそれぞればらばらの声質がいることをここまで有効活用した楽曲が未だかつてあっただろうか?とりあえず、この曲がわたしの「満員電車の中で闘気を高めるために聴く曲リスト」第1位に躍り出たことを報告しておく。

 

 

4.NEW ERA 

 

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 サード・シングルとして2020年11月11日にリリースされた楽曲。「犬夜叉」続編「半妖の夜叉姫」前期オープニング・テーマに使用された。ちなみにわたしは犬夜叉を履修していないオタクにあるまじき咎人なのだが、強火犬夜叉クラスタである友人(続編制作が発表された時「殺生丸様ァァァ!!!!!!」と金切り声をあげていた)に「犬夜叉履修してから夜叉姫観たほうが良い?」と聞いたところ「なんで犬夜叉見てないひとが夜叉姫観るの?ってお気持ちはあるけどそういうオタクがどんなふうに""狂って""いくのか観察したいから履修せず観て」と言われました。実験用モルモットの気分ってあんな感じなんだなって思った。

 イヤこの曲が誰も文句をつけられぬほどの名曲であることなんざ去年の時点で十分すぎるほどに承知してたつもりなんだけれども、Special Orderからの流れで聴いたときのなんだこのあふれ出る鮮烈な輝き。個人的にこれはNAVIGATORのアンサーソングだと思ってる。勝手に。ともあれセカンド・シングルで「未踏を進め」と言い放ったグループが3枚目に出す曲として、約束の場所への到達を高らかに歌ったこの曲以上にふさわしい曲はなかったと思う。これまでのジャニーズあるいはアニソンの王道のど真ん中を爆速で駆け抜けつつ、絶対にとっかかりやフックをつくって「なんか違う」と思わせるこの手腕の鮮やかなこと。6万回くらい言われてますがSixTONESって個々の声ももちろん良いんだけど何より合わさったときのユニゾンが異常なほどに良くて、その良さがチート級に生かされているのがこの曲のイントロであるよ…

 個人的にこの曲にはものすごい思い入れがあって。このNEW ERAがシングルとしてリリースされた2020年、すでに使い古された言い回しだけれど本当にたくさんのことが変わった。何の根拠も疑問もなくこの先もずっと続くと思っていた何にも壊すことのできない堅固なものだと思っていた「当たり前」が笑っちゃうくらい呆気なく瓦解して、それはわたしのような一般人の当たり前もそうだし、彼らアイドルのようなエンターテインメントを生業とする方々にとっての当たり前も、きっとそうだと思うのだ。これまでずっと、本当に多くの人たちにとって、我を忘れ時を忘れ生活に転がる些細な棘の存在を忘れスポットライトの喧噪とライブの高揚のみに身をゆだねて声を枯らして初対面かどうかなんて関係なくその場にいる人間一人残らずとこの感情この興奮を共有するための場所、そういう存在がライブだったはずなのだ。それが今ではどうだろう、客同士ソーシャルディスタンスを保ち、声を出すのもシンガロングするのもだめ。あるいは無観客。あるいは配信。それもそれで良いものではあるし、その中における最上の表現というものを模索する方向でエンタメは動き始めたけどもさ。それでも、時期とチケットさえ準備できればいつでもそこにあったはずの喧噪も高揚も、いまは画面超しのもので、何一つとして易く手に入らない。そういう衝撃の変化が2020年あったと思う。そもそもエンタメそれじたいが「不要不急」のレッテルのもと切り捨てられたのだから、エンターテイナーたちは存在そのものを否定されたような気になったんじゃないだろうか。*2

 そんな時代に、彼らは高らかに新時代の到来を宣言し、「約束の場所」への伝導を買って出た。「Alright,Welcome to NEW ERA」と言って、新しい世界へ手招きした。それはあまりに救いだったと思う。どこまでも真摯なエンタメのすがただと思う。だからわたしは本当にこの曲が好きだ。諸行無常の時代において、しなやかに風になびく臙脂の如く、この世に屹立する確かな証だ。

 

 

 

5.Curtain Call 

 前曲の満ち溢れる生命力をかけらほども感じさせないラヴソングである。トレーラーが解禁された時に、サビの「心の隙間吹き抜ける潮風」の慎太郎氏、「これでいいんだと何度も呟いた」の田中樹に心臓を握りつぶされて絶命してしまったのだが、フルで聴いたら京本さんの圧倒的技巧による「随分昔に終わってた But Why」に全てを持っていかれてしまいもうなんもわからなくなってしまった。そもそも音数を極端に絞ったさびしいイントロからしてその漂う静謐な哀愁があまりに上質なのである。海辺を一人歩きながらやぶれた恋の残り香を思い出す人間の表現がどうしてこんなにも上手い。魂の半分引きちぎられたような状態で見上げる夜明けの太陽のあまりに残酷なあたたかみをこんなにも音からダイレクトに感ぜられることってあるだろうか。もう決別したと思ってたのに、今でも気が付けば揺れる波間や砂浜の音や頬を撫でる潮風のなかにあのひとの後ろ姿を探してしまってなぜだかこみあげてくる涙のことをあかねに染まりつつあるただ広いこの空のみが知っている、どこまでもひとりぼっちの、孤独で透き通った世界がここにある。切なくてうつくしくて涙が出ちゃうね。松村氏が仰る通り「失恋ておセンチなもの」*3だけれど、それをここまできらめく儚いものとして加工できる彼らの手腕よ。というかそう言ってた松村氏による1番出だし、か細い高音がどこまでも空気に溶けていくようなさみしい冷たさを含んでいて、この人のこのパートによってこの曲の雰囲気が決定されたようなふしさえある。

 あと2番の歌割が全体的にどこまでも練られていてお見事である。自他ともに認めるグループ随一のモテ男田中樹(たぶんこの男はモテるっていうより「自分は相手に依存しないまま相手を自分に依存させる」ことがメチャクチャ上手いんだと思う。その上地頭が賢いのでつくづく敵に回したくないしアイドルやっててくれてよかった。*4何の話?)に「悲しみと引き換えに」って歌わせたの誰だ??モテる男に恋の後悔歌わせたら死人が出るっていうのは義務教育で習うと思うんだけれど…何がいいってここでも言うけどどこまでも声がマッチしてるところである。田中樹、わたしはあの人の声は本当に天性のものだと思ってて、厚かましくも田中樹がかみさまからもらった最上の贈り物はあの声だと思っている。ケヴィンとのインタビューにおいて「得意な楽器は?」って聞かれて「喉」って答えたときはさすがにあんまりにもパブリック・イメージの彼で膝を叩いて叫んだもんだが、その宣言に全く恥じない働き。すごい。あのかすれた甘い声で絞り出すように切なく「悲しみと引き換えに」って歌ったらもう世界が田中樹のためのステージと化すわ。逆にこんな人間を相手はよく振れたなと思う。で、しかもこの曲は歌詞が良くて(何度言うんだそれ)「すれ違い離れてった二つの生き方」のせいでこの二人は別れることになるんだな。どっちが悪かったとか相手が悪かったとかそういうわけじゃなくて、生き方の違いで別れたんだ。相手の生き方を否定せず、相手の生き方を肯定してそれを守るために二人でいることを諦めたんだ。これは別れだけれど許容の歌だと思う、相手の生き方を尊重したからこそ、かつ自分の生き方も尊重したからこそ、彼らは半身引きちぎられる思いを味わうことを選んだんだ。それって単純な「君のために生きる」とかいう言葉よりもよほど献身的で、泣けるほど相手に寄り添ってると思う。

 

 

6.Dance All Night 

 Special Orderと同じ日に同じラジオで解禁された時、個人的に最も沸いた曲がこれである。というか1音目から実家のような安心感。根がPerfumeのオタクなので、こういう音を体に刷り込みながら生きてきた。まず一番最初の壊れたロボットみたいな「Let’s stay up all night」を慎太郎氏に割り振ったところから話を始めたいんだが、つくづく慎太郎氏の持つ少年特有の艶やかさというか、節回しと言うか、まったく良い意味で世間知らずの悪ガキが遊んでるみたいな声、本当にこの空虚な熱狂ばかりで出来ている曲に合っている。それからイントロでたまらんのは割とざらざらした音触の田中樹の声と呼応するのが透き通ったハミングというところ。ここの対比はまさしくグループアイドルのみに許された特権である。そこからなめらかなジェシーのボーカルへとつながっていく構成はつくづく見事としか言いようがない。

 というかこの曲の持つ「ぜんまい仕掛けの世界の中で生を感じるために故障するか否かのギリギリを味わいつつ踊りあかすけれどもどうしたって心のどこかは絶対に満たされないし何かがずっと足りない」っていう感じ、ゆえの「空虚な熱狂」、あまりに退廃的で裏路地的でどこかかなしい。泣いてることにも気づかずに笑いながら音に身をくねらせて踊っている感じ。もしもこの曲のミュージック・ビデオをつくるのなら、クラブに溢れる色とりどりの光の中でひとつのおおきないきもののようにうごめきまわる人の群れ、その中でひときわ音に体を揺らして踊り狂う6人を撮ってほしい。

そしてこれは本当にサウンドが素晴らしい。間奏にある、金属の立てるような重低音が飽和した電子音の中で際立つアクセントとなっている。しかもこの重い電子音に重なるのが先述のような透き通ったハミングなのだから、音の組み合わせ方がハッピーセット並みである。そこから畳みかけるような田中樹のラップ。このあまりになめらかな2番への繋がりは、音楽を途切れさせて浮世の物事を思い出させてなるものかという執念のようなものを感じる。それから「We're gonna drive you crazy」を慎太郎氏の少年性が歌い上げているのも良い。「わたしたちはこれからあなたを夢中にさせる」だけれども、この場合は直訳の「わたしたちはこれからあなたを狂わせる」のほうが似合いそう。何度も言ってるけれども慎太郎氏のもつ“少年”特有の要素、ゆえのあまやかさや歌いかたや艶やかさや雰囲気や何よりもその「悪ガキ感」、SixTONESの(主に治安悪めな曲とちょっとおかしな恋愛の歌において)非常に重要な立ち位置にあると思うし、そういう特性をもつ彼の声が参加することによってより一層危ない浮遊感が増して曲の持つ浮世離れのイメージが輝きを放つ。ゆえにわたしはたまに慎ちゃん…おとなになんてならないで…(正確にいえば慎太郎氏は少年と青年のはざまを浮遊するガゆえの色香のようなものを持たれているのでそれをずっと保ち続けてほしいという願望)とむせび泣くときがあるんだけれどもちかごろの彼を見るかぎりたぶんそれはむりできっとすぐ彼はおとなになってしまうので、とりあえず今の慎太郎氏を鼻から吸っとくことに従事したいと思う。たぶん10年後には慎ちゃん可愛いなんて言えなくて慎ちゃん麗しいって言ってることでしょう。慎太郎氏はじき京本・松村と並ぶSixTONESの麗人枠になるんだ…そうなった慎太郎氏の参加するDance All Nightが見てみたいなと強く強く思うので、長く歌いつづけてほしい1曲である。

この曲、ブリッジが終わった後1度イントロに戻るところがこの上もなくたまらんのである。まずそのあまりのセンスに脱帽したし、この夜が終わらないこと、この夜は何度も何度もループして、決して人々は眠らずずっと歌い踊りつづけるという狂ったかなしい宴の要素がこの構成によって底上げされるからである。

本当にこの曲のもつ空虚さといったらどうだろう。たとえるなら中原中也の「都会の夏の夜」である。

 

  “月に空はメダルのやうに、

  街角に建物はオルガンのやうに、

  遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。

  ————イカムネ・カラアが曲がつてゐる————

  その唇は胠ききつて

  その心は何か悲しい。

  頭が暗い土塊になつて、

  ただもうラアラア唱つてゆくのだ。———“*5

 

 

 

7.S.I.X 

 メンバーがタイトルを決め、かなり手を入れてデモからはずいぶん様変わりしたという1曲。個人的に前曲のDance All Nightと地続きの曲で、なぜならばあの空虚な熱狂が健在だからである。なんだろう、前曲の舞台であるクラブにSixTONESが乱入して沸かせてる感じ。ていうかアイドルってフロア煽るんだ。

 まずイントロからしてわかりやすくザ・SixTONESなのである。ジェシーと田中樹による加工をかけた応酬、ジェシーの「Alright, let’s get it」からの1番開始である。突入へと至るマフィアのやり取りかと思うほどのこの治安の悪さ、あるいはダーク・ブラック感。どの曲でも思うんだがこういう沸かせる曲においては本当に、聴いてる人間一人残らず命がけで音に浸るよう仕向ける能力じみたものを全員保持してるのが絶対的な彼らの強みだよなあと実感する。個人的にこれは全くアウェイな場所でブチかましてほしい曲である。周りにあまり味方がいない中で「待たせたな/飛ばすぜ一晩中」とか言って不敵に笑ってほしい。

 1番にてジェシーが「やりたい放題」「明日の事なんて今は気にしない」と言い捨てるのが良い。今目の前で手に入る快感とグルーヴ、それだけがすべてと言い放つのが良い。どこまでも刹那しか生きられないんだから今この一瞬に暴れまわってやりたいこと全部やらなくてどうする、というある種投げやりな姿勢が良い。それをジェシーが見せるのが良い。

それから2番入りの京本さんの高貴さが何と言ったって良い。先述もしたけれど、ともすればただ治安悪いだけでそこそこつまらなくなってしまいがちなこういうタイプの曲における京本さんの存在は本当に大きい。もともと彼の存在はどの曲においても欠かせないけれどもこういう治安一辺倒になりがちな曲(そして治安の悪さの演出は極論誰でもできるので、それ一辺倒になってしまったらそれは「誰でも歌える曲」になってしまう)を彼らにしか歌えない曲に仕立て上げ、彼らにしか醸し出せない雰囲気をまとわせるのは彼の声にしかできない仕事だと思う。彼の気高い声が参加することでまるでマフィアに一人貴族がまじっているかのような錯覚を思わせる。そうでなくてもほかの5人と全く違った毛並みの彼の声は、より曲に深みを持たせ、あるいはまったく違った面を引き出すのである。SixTONESの曲はいつでもすごく上品で下品だが、この上品さの演出は多分彼の手によるものがいちばん大きい。とにかくわたしは治安悪い曲であればあるほど京本さんの表現が楽しみで仕方がないのである。SixTONESのメインボーカル、どちらも文句なしに歌がうまいんだけれど、ジェシーは曲によって声音や歌い方や雰囲気を変えるタイプ、京本さんは良い意味で自分という芯をたしかに残しつつ歌い方を変えるタイプだと思う。だからどんな曲を聴いても彼の高貴さは健在なのだ。それが本当に良い味出しているのである。高いキーが出るとか全くそれだけではないのである。彼のこの揺らぐことのない高貴さ、これこそが彼の声の持つ強みであるとわたしは思う。

 その高貴かつ退廃的な京本さんのあとを引き継ぐのが治安の悪さ代表田中樹なのが本当によく考えられていると思う。ロボットじみたラップの仕方なのが良い。ここの京本さんの流れるような高音からの田中樹の切り刻むラップの対比があまりに好きで、これを聴けただけでこのアルバムのもとがとれたと思った。

 それからこれはブリッジが本当に良い。「光浴びてFlex /想像を超えるスペック」の松村北斗氏の艶めかしさ本当にどうかしている。声が濡れていて女性的な色香が多量に塗りたくられていていっそ鼻につくほどなんだけれどそれを人は妖艶と呼ぶ。入れ代わり立ち代わり畳みかけるボーカルと切り替わるリズム、その裏でいつまでも警報のように鳴り続けるサイレン。絶対に只者ではないとこの一曲だけで十分すぎるほどに知らしめることができてしまう。俺らの一挙手一投足に注視しろ、さもなければあっと言う間に仕留めるぞって脅されてるような感じ。総じて強い。これぞ帝国の王である。

 

 

8.Coffee&Cream 

 まさにタイトル通りの曲。まろやかなまどろみと心地よい気だるさがゆっくりとまざりあって沈殿している穏やかな曲。ピアノの低音とオートチューンじみた声の織り成す少々のアンバランスさが逆に耳に心地よい。ピアノのやわらかい音と金管楽器のすこしの豪華さがまさに休日の空気を物語っている。誰にだってあると思う、少しだけ寝過ごして、もう日は高く蒲団の上にあたたかな光が差してるんだけどまだ置きたくなくて結局陽だまりの中でうとうとしちゃった経験。そういう曲(のはずなんだけど歌詞が少々不純である)。

 ところで声って楽器だなあとつくづく思った曲。特にS.I.Xの次だからそう思う。前曲で命の危機を感じるほどには全面に打ち出されてた攻撃性の牙なんてこの曲には存在しなくて、つきあってる人のことがかわいくて仕方がなくて休日をどこまでもふたりきりで過ごしたい、甘い願望だけが詰め込まれている。それを表現できているのはひとえに彼らの声やそれを使いこなす技術がとても多面的だからだと思うのだ。声の良さは天性だけれどそれを使いこなすには技術がいる。良い声を持ってるだけでは宝の持ち腐れになりかねないから、その声を、曲想や雰囲気や旋律や歌詞によって使い分ける必要がある。高低長短はもちろん、細さ、色味、音触など、声の調節方法は本当にたくさんある。その調節ねじを回して曲にぴったり合うところを探すのが歌唱だと思う。声というのはこの世で一番自由な最上級な楽器だ。この曲ではフェイクとメインボーカルラインが何度も交錯するからそれを強く実感する。とにかく声とハーモニーの重なりが本当にきれいで癒される。家でぼんやり蒲団にくるまれてる朝になんとなく聴くのはもちろん、明るい陽の光の下石畳を踏みながら聴くもよし、雨の日に洗濯物をたたみながら聴くもよし、いつ聴いても心を甘くしてくれる。NAVIGATORがどこまでも日常の中に溶け込まない曲ならば、この曲はどこまでも日常の中に順応してくれる。そうまるで液体のように自由自在に形を変えて、心に空いた隙間を埋めてくれる。本当に素敵な曲だと思う。なんでもない恋愛、抱きしめたくなるぐらい大好きな気持ちをただただ甘く歌ってる、こういう曲を待っていた。

 

 

9.Imitation Rain 

 

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 もう何を言うまでもなく、この曲が旅路の始まりである。もちろんデビューと言うのはあくまでも越えなければならない一つの大きな山でしかない、というのは彼らの談だけれども、それでもこの曲があったからこそ彼らは「音楽をとことん突き詰める」というその意思をいっそう固くしたのではないだろうか。X JAPANYOSHIKI御大が作詞作曲を手掛けたこの曲でデビューすれば、セカンド・シングル、またその後の多くの音楽活動における高いレベルが求められることは必然である。美しいピアノの旋律や歌詞にちりばめられたワードは絶対的にX JAPANを想起させる。そしてこれを見事に自分たち色に塗りかえ、美しい高音やそれを支える低音、卓越した表現力をあいさつ代わりに世間に見せつけたのが彼らだと思う。たぶん、いつまでも、この先何年もかけて、それこそ彼らが彼らたる理由を懸けて咀嚼し、飲みこみ、表現していく永遠の命題のような曲なのだろう。なんかもう何を言うのも野暮である。きっとこの曲によって彼らのこの後の方向性が確たるものとなった。その点においてこの曲はどこまでも彼らの歴史において燦然と輝くターニング・ポイントであり続けると思う。そういう意味で、この曲を超える曲はたぶんもう現れないような気がする。原点にして頂点、なんて言葉はオタクが言う言葉じゃないし原点も頂点も勝手に決めるなって話だしいつだって「いま」の推しが最もうつくしく最強であるというのがわたしのオタク・ポリシーなんだけれど、この曲は、この曲だけはその形容をお許しいただきたい。この曲の、澄み渡ったピアノの旋律を聴くたびにはっとする。声高に制圧を叫ぶわけでもなく、熱く決意を語るでもなく、ただ、静かな雨の中でなによりも燃えさかる炎を内包する彼らだ。  

SixTONESがImitation Rainを歌っている。それだけで良い。それ以上に重要な意味なんてきっとない。

 

 

10.Life Time 

 1STにはたくさんの音楽が詰まっている。ジャンルはもちろん、まとう雰囲気、用途、伝えたいこと、どれもばらばらだ。音楽って本当に定義が広くて、正解なんてものはないけれど本物と偽物がたしかにある不思議な代物だ。たとえるなら宇宙である。果てはないけれど大きさがある。だから、音楽を歌う人、あるいは作る人、その数だけ音楽と言う定義がある。政治的に使う人も、だれかを勇気づけるために使う人もいる。自分のためだけに歌う人もいる。世界観を表現する一助として位置付ける人もいる。正解はない。その人が使いたいように、歌いたいように、音楽と言うものは在るし、生まれつづける。どんな時にもどんな人にも必ず音楽は寄り添ってくれて、となりにいてくれる。音楽が死なないのはそういうことだ。誰か人が生きていくためには絶対に音楽が必要なんだ。だから音楽は滅ばない。

  さてこの1STというアルバムが示しているものとは何だろうか。それはたぶん、音楽の可能性、というものだと思う。音楽がかぎりなく自由であるということ。何にも縛られぬ純白の翼であるということ。どこまでも広がり続ける星空であるということ。誰かを奮い立たせることも、誰かをけしかけることも、誰かを興奮させることも、手をつないで引き寄せることも、あるいは心を慰めることもできる。頭を空っぽにしてもなお感じられ、甘やかさで包み込み、ただ前を見つめる静謐さをまとうことだってできる。

 そして人を救うことができる。誰もが立ち尽くしてしまう暗闇の中で、ぬくもりを分け合い、ちいさな光を焚いて、ともに歩く約束を交わすことができる。言葉はいらない。ただ、音楽があればいい。CDを入れて再生ボタンを押すだけでいい。そうするだけで、いつまでも、何度でも、音楽は人を救うことができる。ひとりではないと知ることができる。ただ見えなくなっているだけで、いつだって自分のとなりに在る存在がいるということを思い出すことができる。求めればいつでも。求めなくてもいつでも。人生が続く限り、音楽が寄り添ってくれる。そういう音楽をSixTONESは歌うことができる。誰よりも誠実に旋律を紡ぐことができる。彼らは人を救うために、光となって瞳を照らすために音を鳴らすことができる。それはきっと最高のアイドルだと思うのだ。彼らはこの歌をこうやって歌うことができる。もうそれだけで十分だ。信じる根拠はそれだけでいい。音楽は裏切らない。嘘をつかない。それさえあればなんにもいらない。

 

 

〈まとめ〉

 長々と書いてきたのですが、何が言いたいって本当に良いアルバムだったんです。こんなにも泥臭く、心の底から清々しく、音楽を愛し、音楽を楽しみ、音楽をいつくしみ、音楽に願うグループが実在していることがわたしは本当にうれしい。音楽の可能性を盲目的に信じている彼らが好きだ。音楽は裏切らないと、そう言い切るひとがセンターにいるこのグループが本当に好きだ。それを実感させられるアルバムであり、また、それに決してとどまらないアルバムである。今回書いたのは各盤共通の10曲だけなんだけれどもじつは収録曲はあと11曲ある。そのどれもが彼らの魂のきらめきであり、何よりもその生きざまを証明するものとなっている。

 SixTONESに出会えてよかったと思う。そして、これから出会う人たちがうらやましい。どうかこの切実なアルバムが、ずっと長く聴かれることを願う。6人による真摯な祈りがいつまでも鳴りやまないことを願う。本当に、心の底から良いアルバムなのだ。

 

 

www.sixtones.jp

*1:月刊ニュータイプ9月号より。

*2:このことに関しては「音楽と人」1月号に掲載されているGRAPEVINEへのインタビューがとても刺さるので是非ご一読をば。

*3:SixTONESNHKで初の全員MC番組 "価値観のズレ"を体当たり検証」(オリコンニュース)より。

*4:個人の見解です。

*5:中原中也 全詩集」(角川文庫•2006年発行)より。

彼の人の誕生日に寄せて

 

 「最後のライブでめっちゃシャウトして行方不明になりたい!」

 これが、初めてわたしが読んだ彼のことばである。ファッション誌「anan」の創刊50周年記念特別号掲載のインタビュー、その一番最後。50年後何をしてると思いますかという問いに対する彼の答えだ。
 わたしがこれを読んだのはまだスト担になる前だった。元々推してるPerfumeが載るらしいということで買って、彼女たちのページを堪能した後、なんだかもったいないから前から順番にページを繰って、そしてSixTONESをみつけた。SixTONESという存在はその時既に知っていて、動画も二、三は観たことがあったし、曲も聴いたことがあった。気になりつつもハマってはいない、という微妙なスタンスだったその時期、彼らの写真やことばに直に触れるのは初めてで、なかなか面白がりながらそのページを読んでいた。彼らの歴史や功績についてもちょこちょこ載ってたし、なんだかめちゃくちゃ凝り性の上に創作や表現といった行為が大好きな人たちなんだろうなあとぼんやり思ったことをよく覚えている。へえ北斗さんが切り込み隊長なんだ、なるほど髙地さんがいじられキャラ、ふむふむ、と(気になっているとはいえ)あまりよく知らない人たちのインタビュー記事にしてはなかなかたのしく読んでいたそのとき、先の文が目に飛び込んできた。

『京本: 最後のライブでめっちゃシャウトして行方不明になりたい!
 ジェシー:それは、違う意味で伝説のライブになりそうだね(笑)』

これでインタビュー記事は終わっていたが、この、彼のことばを読んだとき、今まで感じたことのないレベルの衝撃が頭から突き抜けた。すごくびっくりした。暫く指も動かせなかったし、何度も何度も視線でその文字の並びをなぞった。本当に、息がつまるほどにびっくりして、それからすごくうつくしいひとだな、と思った。
 最後のライブでめっちゃシャウトしたい、ではなく、最後のライブでめっちゃシャウトして行方不明になりたい、である。行方不明になりたいのだ。彼は。歌っていない自分には、歌えない自分には、歌わない自分には、ファンの目の前に、ステージの上に立つ資格も価値も無いのだという確信のようなものが言外にあるように思った。たぶんそんな深い意味はないのだろうけれども、どこかで、彼自身の心のどこかでそう思っているからこそ飛び出たような発言にどうしても思えてしまったし、今でもこの一文を読むたびにそう思う。彼はステージの上に立つかぎり、歌っていたいのだと。いつまでも、旋律のなかに、音符の流れに身を浸して、詩のひとつひとつを身に纏って、そういう姿でこの世に(あるいはファンの前に)存在していたいのだと。その確固たる意志と覚悟をもって歌う彼のなんとうつくしいことだろう。その硬くあやうい決意のなんとうつくしいことだろう。文字通り全身全霊で音楽に向き合い音楽を愛する彼の、音楽にすべてを捧げる彼の、その姿、その歌の、なんとうつくしいことだろう。こんなにも無邪気に音楽や歌に身を投じるひとをほかにしらなかった。だからびっくりした。こんなにも献身的に、いっそ盲目的に、歌を希求し、歌を愛し、歌っていたいと強く願うひとがこの世界に居たのかと。
 彼がみずからの音楽について言及するとき、いつだって頭の中にこの一文がある。歌に対する思いを語るとき、いつだってこのことばが頭の中で渦を巻く。最後のライブでめっちゃシャウトして行方不明になりたいと言う彼の、つくる音楽、話す音楽、そういう彼が誇りを持って満面の笑みで素晴らしいものだと断言するSixTONESの音楽、あるいはそういう彼を否定するでもなくからかうでもなく包み込んで肯定するあの5人、その関係性にいつだって存在する鮮烈な音楽への忠愛は、やっぱりどうしようもなくうつくしいと思う。音楽をめぐる彼の姿勢やそれをとりまく5人のつながりがこの一連の文章から垣間見えるような気がして、たまに読み返しては静かにページを閉じるという行為を繰り返してばかりいる。こんなにも前のめりに音楽をやるひとの、ひとたちの、どうしてその旅路のすえに光があることを願わずにいられるだろうか?彼らの未来が祝福と幸福にみちていることを、どうして祈らずにいられるだろうか?

 京本大我さん、お誕生日おめでとうございます。心の底から大好きです、なによりもうつくしく歌に手をのばすあなた。

 

 

引用•参考:anan2191号(3月11日付)

断末魔書き留め



これはティザー映像のみを見たオタクの発狂ツイートのかずかずのまとめです。

ミュージック・ビデオ長尺解禁前、解禁ワイドショーも見ないようにして書いたので、もろもろ主観です。

発狂オタクによる断末魔の書き留めなため、整合性はないです。あしからず。





 

10月20日

突如としてわたしのカレンダーに最重要予定日として設定されたその日は、SixTONESの3rdシングル「NEW ERA」ミュージック・ビデオ初解禁日を意味する。


……嘘でしょ?はやくない?


さる10月17日。忘れもしない、あれは土曜日。忘れるわけがない、わたしは模試だった。おひる食べてから模試に行くため電車乗って、ほんであと一駅で着くからな〜とか呑気に思いながらツイッター開いたら飛び込んできたのが屍累々阿鼻叫喚のTLである。強烈なデジャヴを感じた、そうNAVIGATOR。あのときの深夜もそうだった。TLは爆速で更地にされ、オタクは皆歓喜と困惑をうめき声として横たわるしかなくなるこの光景。あまりにも見覚えがありすぎたし、これはSixTONESの得意技である。なんせ彼らはオタク虐殺計画を忠実に遂行してるので…(?)


しかしこの時点ではいまだに何が発生したのかわたしにははっきりとわかっていなかった。そうそして、飛び込んできたのである。あれがーーーー


https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299297310760966?s=20


……お分りいただけただろうか。


わたしは模試の直前である。模試の直前なんだ、なのにこんなに美しい田中樹を浴びてしまった。まあ結果は推して知るべしである。来月配点表受け取りに行くのが怖い。まあわたしの模試のことはいいんです、べつに…


こんなに美しい田中樹をわたしは知らない。

わたしはつねづね「田中って気を抜いてるときがいちばんきれいだよな」「田中ってあんがいきれいな顔してるんだよな」といったふうに田中のことを「きれい」と評する。田中はきれいな人だからだ。美しい人、というよりも、きれいな人、だからだ。でもこの田中は違う。本当に美しい。ほんでもって誰も見たことのない田中がいる。

ラップ部分はいいんですよ、圧倒的にどこまでもどうしたって好戦的なので。腕の振りが完全に挑発的だし煽ってる。この田中は知ってる。この、挑発と諦観を交互に滲ませつつ退廃的な色香に満ちた顔でことばをはなつ田中は知ってる。そうこのティザーの田中の怖いところは、「誰もが知ってる田中樹」と「誰も知らない田中樹」を自在に行き来するところだ。相対者にむかって煽るという「知ってる田中」と、孤独を、孤独のままそこにただ存在してる「知らない田中」。そんなの情緒で殴られる。さっきまでバチクソこちらを煽ってたやつがいきなりガラス玉みたいな目をして自然の中にひとりぽつんと存在してるこの現象に耐えられるオタクなんているんだろうか?ひとりで海のほとりに立つ田中樹、どうしようもなく孤独だけれど、本当に、この世の終わりみたいに美しい。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299298032386049?s=20



髙地さん!?!?ハ!?!?!?アンタ誰だよ!!!!!!!!!!(失礼)


自担決定のはなしをまだしてなかったんですが、わたし結局「誰かひとり」を決められなかったクチで、Amazing!!!!!!のパフォーマンス動画でいちばん心に残った人を担当としよう!と決め、その結果が髙地さんの横顔だったので髙地担を名乗ってるだけのなんちゃって髙地担なんですが、あの、わたしの知ってる髙地さんって、メチャクチャひたむきで、まっすぐな目線でスポットライトを浴びて、ただただ一途に歌を歌って踊ってる人なんですよ。わたしは彼のそういう横顔を好きになって、いちおう髙地担を名乗らせていただく次第となっているんですけれども。たまにハマだし縄持つとSだし良い人には違いないのに絶対裏があるだろって思わせる独特の空気があるしナビゲのころからだんだん数多の組織をすでに潰してきました感満載になってきたけれども、わたしの知ってる髙地さんは、少なくともそういう顔をしてパフォーマンスをする方だったんですけれども。


...............................................いやアンタ誰だよ。(失礼)(2回目)


イヤほんと誰????こんな髙地さん少なくともわたしは知らないぞ。彼は「かわいい」と「怖いくらいにカッコ良い」を行き来する人だと思ってたんだけどこの髙地さん、完全に異質じゃん。異質で異常なほどに温度がないし、無感情だし、虐殺や殺戮や崩壊や裏切りやそういうもろもろをすべて経験し尽くして、戦場としての役割を終えた土地の上、流されたばかりの血や散ったばかりの魂になんて全く興味関心も抱かずただただなんにもないところでなんにも感じ取れませんって感じにふらふら歩いてる感じの髙地さんじゃん。なにもかものすべてが終わってふるい帝国が崩壊して、はじけたいのちのことなんて全く意に介さずにむしろそんな塵芥のようないのちのことなんてとうの昔に忘却してなんでもないふつうの顔して血の海の中ほっつき歩いてる髙地さんじゃん。目があおうが目があわまいが同じ空間に存在してるだけで問答無用で殺されるやつじゃん。いちばん反逆者の顔してるじゃん。あのですね、この人この間バラエティでうんこのかぶりものして「あざとい〜!」だの「かわいい〜!」だのといじられてた人と同一人物らしいですよ。ハ???嘘でしょ????髙地優吾って何人居るんですか?田中といい髙地さんといい、ジャニーズに入るには分身の術かなんかを身につけてることが必須なんですか?式神使いが必修科目なんですか?どうなってるんだ。一体髙地優吾はこの世界に何人居るんだ?これは永遠の命題か。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299298032254976?s=20



あとさァ〜〜ほんとさ〜〜〜〜、ナビゲんときも思ったけどまつむらは、こと「曲を生きる」という点に関してどうしてあれほどまでに""""天才""""なわけ???

髙地さんがいのちにも環境にも無関心な反逆者とするならこのまつむらはまるで真逆。戦場としての役目を終えた広い土地の血の海の中に膝をついて、はじけたいのちや人々のさけびをすべてとかした空気にふれて、しずかに手をかかげて祈りを捧げているかんじする。そう、まつむらだけ、まつむらだけが、ひかりに溶けていきそうなんだ。輪郭がぶれてにじんで今にもひかりのなかに同化していきそうなほど、まっしろで透明なまま。このまつむらは存在として敬虔だ。限りなく天にちかい場所、この世界の中でもっとも天にちかづける場所に立ち、この広くてせまい世界を見渡して、神と同じ視点に立って、跪いて手をかかげて祈りを捧げている感じがする。あまりにも神聖な世界をつくりだしてる。ただひとりだけ輪郭が消え入りそうな、それでもたしかな意思と闘志をその瞳につよく宿して自然の中に立つきみ、その髪のなびきすら意のままのよう、本当に、彼は表現することが似合う男だよ。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299294676766720?s=20




対して京本さんは絶対に輪郭をにじませない。自然という、古来より日本人にとっての信仰の対象、あるいは神と同義である存在のどまんなかにあって、それでもなお「京本大我」としての輪郭、存在を完璧に保ちつつ立っている彼。あの広大で雄大で強大で、どこまでもはてしなくつづく木々と世界と空と海の中にあって確固たる「京本大我」を成立させる彼。それらの途方も無い質量を持つものをまとうことにより、むしろその輪郭をよりいっそう際立たせる彼。まつむらと京本さんの表現の違い、美しさの違いを見るのはわたしは大好きなんだが、このティザー、その違いが明確に現れてたなと思う。まつむらは曲の中の人物として曲の中に存在し、京本さんは「京本大我」として曲の中に立つ。まつむらは曲を生きる人。京本さんは曲を支配する人。どちらもひとしく「表現」という美しさのなかに生きようと決意した人たちだし、その様がほんとうにまばゆく、まぶしく、どこまでも美しい。

あと感情を爆発させてるところな…今までたくさんの人の感情の発露を見てきたけれども、あんなに美しく世界や現実に向けて吠える人を初めて見た。指先の美しさは言わずもがな、そして美しさと儚さと力強さと芯の強さを同時多発的に雰囲気に内包するの、ほんとずるいと思う。そんなん大好きである。それが絵画のごとき美しさとなり、その上で斜光と静寂に包まれるの、ほんとうに、あなたのために世界があるのよってかんじだな……



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299294827728898?s=20




慎ちゃんと自然の調和ヤバくないですか???ていうか彼の持つ、強引でもなく軟弱でもなく気づいたら彼に従っちゃうような柔軟な支配力ヤバくないですか????かろやかに舞うおおきなからだとそよぐ風とひかる海、ぬける空、たなびく旗、もう もう もうですよ もうですね、世界の構築物すべてが森本慎太郎のバックダンサーですよ……すべてが彼の魅力やうつくしさを際立たせるための舞台装置です。ジェイクスピアはこの世全てが一つの舞台と皮肉屋の価値を借りてこの世界を評したが、それはある意味ただしいと言えるような気がしてきた。ていうか本当に慎ちゃんがきれいだ。慎ちゃんと大自然の調和、あるいは共存、あまりにも相性が良くて気絶してしまうな。無邪気な少年と美しい青年、あるいはおもちゃに夢中になる底抜けの明るさとおもちゃにも遊びにも飽きてしまった諦観、あんなにも美しく絶妙なラインと塩梅で共存するものなの?たったひとりのなかに?たったひとりのにんげんのなかに、それらすべて、帰着するものなんだろうか?あまりにも その 泣いてしまうほどに、それは純粋すぎやしないか。



https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1317299292806152192?s=20




そして彼が結局かみさまなのである。いやたぶん彼は、自分をかみさまって思われるのはすごい嫌だろうけど、それでもどうしようもなくかみさまに思えてしまう。光につつまれながら「All right,Welcome to "NEW ERA"」って言うのは。彼が世界をこしらえたのだ。彼が愛して彼が信じる最高で最強の仲間たちと一緒に、そこにひとつ世界をあつらえたのだ。だからそう、そこに、ようこそ俺たちの国へ時代へと、呼んでいるんですか?そうなんですか?

なんかもう自然の中に存在してるジェシーがあまりにもおおきな存在すぎて、もはや直視しがたいのである。この人はこんなにおおきな背中で、こんなにすべてのものをつつみこんでしまうほどにおおきな人だっただろうか。こんなにかみさまみたいな人だっただろうか。どうしようもなく、侵しがたく、なにものにも染まらず世界の中心に腰掛けられる、あるいは旗を立てられる、その権利をもつのは彼だけだ。彼は世界に愛されている。彼が世界に愛されている。



なんというかですね。Imitation rainもNAVIGATORも、誰かの・なにかの・思惑・権力に沿ってつくられた世界、にとじこめられた、あるいは逆らおうとするSixTONESだったからCGとの融合がドチャハチャメチャにマッチしたけれど、NEW ERAはそういう今まで自分たちをぐるりとかこっていた旧世界の壁や境界や見えない檻をすべて壊して破壊して、そのせまい世界から飛び出して、新しい時代、新しい世界、とじこめられたあんな息苦しい世界ではなくもっとひろくて光に満ちた世界を生きることを渇望して、原始の方法による建築、ここが俺たちによる新しい国だと宣言するが如く臙脂色の(臙脂色ってほぼ濃い紅色なんでうちの象徴のメンバーカラーとほぼ同じじゃないですか)旗を立て、なんの障壁も障害も遮るものも存在しない世界で踊り狂い歌い明かすの、これまでの、そしてこれからの楽曲の連続性があまりにも完璧である。ていうかいまだかつてここまで宗教のにおいの強いミュージック・ビデオ出したアイドルが居るか?????わたしのしるかぎりにおいては居ないぞ。ほんと毎回「カッコ良いとはこういうことさ」を地で行くために紅の豚か?って錯覚する。あの広大な自然に呑ませずに確固たる存在と支配力で以て建国と新時代の到来を宣言するSixTONES、本当に、たがわず彼らが旧時代への反逆者であり新時代の開拓者。



何故わたしはSixTONESのNAVIGATOR収録曲You & I を聴いて泣くのか

元来自分の感情や情動をうまく言語化して表出できたためしがないのでうまく書けるかわからないし(たぶんうまく書けない)、書けたところであんまりよくわからない文章にしかならない気が多分にするけれども書いておきたいので書いておこうと思う。何故わたしはYou & I を聴いて泣くのか。


去る2020年7月21日、多くのSixTONESファンが心を躍らせたことだろう。全世界待望のSixTONESセカンドシングル「NAVIGATOR」のフラゲ日。かく言うわたしもスマホにどんどん舞い込む出荷完了・配達完了メールの整理に追われながら、それはそれは心を躍らせてコンビニに向かったものである。この日のためにこつこつ貯めたお金を握りしめて、まるで初めてCDを買いに行った時のような初々しい気持ちでCDの入った包みを受け取った。あの時の高揚感たるや、きっと一生忘れないと思う。今この瞬間この世界はこのCDを持っているこのわたしを中心に回っている。そんな感覚。


家に帰って丁寧に包装を剥がしてさてどれから観よう(聴こう)と考え込んだ。ミュージック・ビデオがやばいのはよく考えなくてもわかる。わたしはあの数十秒にも満たぬティーザーだけでクソ長ブログ(これ→https://koukei.hatenadiary.com/entry/2020/05/31/152423)をあつらえた超こじらせ型のオタクなので、ミュージック・ビデオを観た瞬間、もっと言うなら二番に存在すると言うスーパー髙地タイムなるものを目の当たりにした瞬間が確実にわたしの命日だ。きっと全ての細胞が灰のごとく散り散りに霧散し、何も考えられなくなってしまうだろう。それだけは避けたかった。わたしはSixTONESの音楽をなるたけ平穏な状態で、ちゃんともろもろの機能が正常に作動する状態で楽しみたかった。ビデオで視覚と聴覚を殺されることは確定事項だったので、とりあえず通常盤収録の4曲を聴いてちゃんと味わって咀嚼してそうして聴覚をしっかりすっかり殺してからビデオに臨もう。そしたらたぶんそれの持つ殺傷力もいくらか減るだろう、といういかにも頭の悪いオタクの無駄な足掻きを思いついた。そんなわけでわたしはすっかり部屋の隅に放置されていた黒いCDプレイヤーを引っ張り出して、通常盤のディスクをセットした。


NAVIGATORとHysteriaの感想は一旦省かせていただきたい。本当に素晴らしい楽曲と素晴らしい歌声だったが、今の本題はこの二曲ではない。三曲めのYou & I、この曲を聴き終わった瞬間に何故か涙が出た。 

たぶんあの曲はそんな号泣を誘うタイプの曲ではない。むしろ初回盤収録の光る、兆しを聴いて泣くのがたぶんただしいSixTONESファンというものなのだろう、でもなぜかわたしはYou & Iを聴くたびに泣いてしまうのだ。通常盤を買ってくれた中華アイドル沼にいる友人にその旨をラインで送ると共感は得られなかった。え、もしかしてYou & I聴いて号泣してるのわたしだけ?


どうしてわたしはYou & Iを聴いて泣くのだろう。曲としてはすごく明るい曲調だ。コールやフェイクをふんだんに使った音の多い曲。前向きな歌詞と、希望に満ち溢れたボーカルと、透明感のあるサウンド。あの曲はファンに向けてのラブソング、というどなたかのブログも拝見した。その通り、すごく明るくて、さわやかで、光に満ち溢れた、すてきな曲だ。薄暗いこともほのぐらいことも書いてない、前向きで背中を押してくれる曲だ。わたしたちの手をやさしく引いてひかりの満ちた美しい場所に案内してくれそうな曲だ。でも泣く。何故か泣く。どうしてだかいつも泣いてしまう。You & Iの、6人の明るい歌声を聴くたびに、どうしようもなく切なくなって涙が出てくる。


少し話はそれるのだけれど、わたしは美術鑑賞が趣味で、よく美術館の展覧会に出かけては絵画を観ている。学生はだいたいどこの美術館も無料で観覧させてもらえるのでその特権をフルに活用して、コロナが流行りだす前は暇さえあれば美術館に行って企画展やら常設展やらに入り浸っていた。美術はとても良い芸術だと思う。その画家がどんな風に世界を観ていたのか、その画家の目にはどんな風にこの世界が映っていたのかをあんなにダイレクトに知ることができる手段はなかなかない。

で、割と日本人にありがちだけれどわたしは印象派の、特にゴッホの作品が好きだった。まあ日本人はだいたいフェルメールゴッホダ・ヴィンチが好きだ。自慢にしやすいからね。兎にも角にもわたしはゴッホの作品が好きで、でも唯一、ひまわりだけが苦手だった(ちなみに好きなゴッホは『花咲く桃の木』です。うん、だれもしらないね)。笑ってしまう。ゴッホの代表作といえばひまわりだけれど、わたしはそのひまわりが苦手なのだ。だって不安になるから。

ひまわりの描かれた画面はとても明るい。世界をひかりの粒と捉えたゴッホの作品群の中でも飛び抜けてひかりの度合いが強い。主張しすぎるほどの黄色と、画面いっぱいに描かれた大輪のひまわり。ほとんど暖色だけで構成された画面はむせ返るほどの温度に満ちている。狭い額縁の中で精一杯くきをのばすひまわりは希望の象徴だ。ゴッホはこの絵の中に持ちうる限りの希望をつめこんだ。絵の具をカンバスに盛るように塗りつけて、希望が絵から逃げて行かないようにたんねんに描いた。おかげでひまわりの絵の中は希望と光で満ち満ちている。過ぎるほどに。そう、過ぎるほどに。


必要以上に迫られた希望。


人ってわがままな生き物で、不安過ぎても生きていけないくせに希望ばかりが目についてもかえって不安になってくる。ひまわりを観ているとわたしはすごく不安になるのだ。この絵の中の希望はあまりにも主張が強過ぎる。過ぎる希望はかえって人を不安にさせる。わたしは光に満ち溢れた世界を、希望と平和の象徴であるひまわりを観ているはずなのに、どうしてだかものすごく不安になるのだ。


その感覚がYou & Iにとても似ている。


べつにYou & I に希望がつまり過ぎてるわけではない。明る過ぎるから泣くわけでも、この場合はたぶんちょっと違う。何故わたしはこの曲を聴いて泣くのか。何がそんなに切なくなるのか。

たぶん、あんまりにも透明だからだと思う。

透き通ってるのだ。何もかもが。サウンドも、ボーカルも、その他もろもろ、この曲を作り上げているすべてが。あまりにも透明で、だから今にも空気の中に溶け込んで姿を消してしまいそうで怖い。手を繋いでまぶしいひかりの中に入っていって、そのまま帰ってこないんじゃないかと思ってしまうような。刹那的。そう、刹那的なのだ。一瞬で消えてしまう木漏れ日のような、夏の真昼に見るもやのかかった夢のような、まどろみの中に溶けていくすこし湿度の高い風のような、そういうすぐに消えてしまううつくしいものだけが持っている透明感が、あの曲にはある。ありすぎる。あまりにも純粋で純真だから、脆くて儚くて移ろいやすくて、かき氷とか砂糖菓子みたいにすぐにほろりと崩れて無くなってしまうんじゃないか、と思ってしまう。あんまりにも透明で、透度がたかすぎて、すぐに存在もわからなくなってしまうような。透明人間みたいに。ガラスを空にかざした時に、輪郭がすぐににじんでしまうように。海と空の境界線なんてすぐに消えてしまうように。


あの曲は、たのしくて、明るくて、やさしくそっと手をにぎってくれるような曲で、透き通っていて、だからこそ儚くて、刹那的で、一瞬のきらめきに満ちているとわたしは思うのだ。考えすぎかな。うん、たぶん考えすぎだ。でもその切なさに、切ないがゆえのうつくしさやきらめきがあんまりにもまばゆくて、わたしはきっとこれからもYou & Iを聴くたびに涙ぐんでしまうのだと思う。



NAVIGATORのソロティーザーにタマゲーター

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いやタマゲーターどころじゃないよ。


SixTONESのセカンドシングルNAVIGATORの個人ティーザーが公開された。深夜帯の解禁にもかかわらずTLは死屍累々の阿鼻叫喚、もちろんわたしも例外ではない。予想を軽々上回るクオリティのものを見せられてマジで吐きそうになった。脳の処理が追いつかずあまりの速度で狂っていると友人から「SixTONESって戦闘能力ツヨツヨの宝石の国みたい」とまさに言い得て妙なたとえを言われてさらに撃沈、ここにひとりの灰燼人間が誕生である。もはや人間を名乗れるとも思えない。個人ティーザーに脳みそをじかに殴られてただの頭おかしいオタクになってしまった(元から頭おかしいオタクでは?)。もはやただの灰燼だ。風吹けば名無し。

そもそも発表の仕方よ。レギュラー番組のオールナイトニッポンで発表するのはわかるけど何故「今日の放課後何時にどこどこ集合な!」的なノリとテンションで発表する? 電柱と塩むすびのくだりの中でさらっとなんでもないことのように発表する?ナビゲーターをナラベーターパズルとかいういかにもジャニーズなトンチキ商法(褒めてます)を先週繰り出したばかりではないか。それだったら普通油断するだろ。なんかゆるゆるふわっとしたものがちょこちょこ来んのかなと思うだろ。思うんだよ。わたしはそうだったんだよ。

ねえなんで油断させといて一撃で首搔き切るような真似すんの?(キレ)

マジで顔の良さと体のしなやかさとかもしだす雰囲気と確立された世界観で容赦なくバチボコ殴ってくるのをやめてほしい(絶対にやめないで)。深夜に投下しないで!!叫べないから!!!!!(昼間でも叫ぶな)ってか何あれ。(n回目)マジで最近デビューしたばかりの新人なの? 嘘でしょ? 音楽性も高ければ映像美も最高級、各々の個性がほとばしるほどに溢れ出ていてあれはもしかしなくても見るタイプの麻薬ですね?とりあえず監督された方、構想を練られた方は速やかに挙手をし口座番号を告げてください。直接振り込みます。

まだぜんぜん飲み込みきれてないからテンションがおかしい。一夜たったのに飲み込みきれないものを出してくるSixTONESもおかしい。ってかマジで個人ティーザー解禁されてからもう10時間以上経つの?早くない?

個人ティーザーを見て思ったのは(TLでもいろんな人が言ってたけど)明らかにSixTONES6人がヒールだったこと。特に田中樹・森本慎太郎がやばかった。あの顔で笑うのは反則だろ…特に田中樹だよなんなんですかあそこは???今回ラップパート多めということでもしやあの笑いながらバチクソ煽るシーンはあなたのラップシーンなのかな???何それ耳も目も同時に殴打されるやつじゃん。オタクをいじめないで。ってかずっと思ってたけどすとんずくんたちはオタク虐殺計画の実行者なんか????オタクの人生狂わせて簡単に弄ぶのそんなに楽しいか?????良かったな。わたしもあなたがたの掌の上で転がされるの最高に楽しいよ(たすけてほしい)

話を戻そう。

明らかに彼らは悪役だった。正義の側にはいなかった。非正義を背負って立つ人たちだった。個人的には革命家とか反逆者的なイメージを持ったかな。旧世界に反旗を翻して自分たちのための自分たちだけの帝国を築き上げる、的なやつ。革命家で反逆者だけれど絶対的な支配者。オーラダダ漏れ。お前らが優勝。誰よりも陽キャ(一部を除く)でひかりを背負って立つのが似合う、スポットライトを浴びてステージ上に君臨する画が本当に似合う彼らに闇を背負わせたの本当にヤバい。相反するふたつのものが絶妙なバランスでかみ合って一層彼らを引き立てている。完璧な化学反応じゃん。理科の問題集の化合の欄、酸素と銀の組み合わせとともに書き入れるべきだよ、「SixTONESと闇」って。天才が天才を引き立てとる。やっぱこのMV作った人口座番号教えて、謝礼金振り込むから。振り込ませてくれ頼む。

あと個人ティーザーということでバチバチ個性出してきたな、と…同じ曲にノってるはずなんだよ、パートは違うかもしれないけれども同じ曲ということは根底を貫くものは絶対に共通してるからどこかが似通ってくるはずなのに見事にバラバラ。全体で踊ってるシーンはそこそこ揃ってるけど(SixTONESはダンスを揃えないグループでたしかに振り付けのアレンジとか腕の伸ばし方は人それぞれだけどカウントだけはめっちゃ正確に一致してるよねby中学の頃からダンス部にいた友人)ソロシーンになった瞬間個性爆発させてくるのなに?喧嘩か?殴り込みか?個性で殴り合いでもしてんのか?てかこの手法ほんと好きね…わたしも好き……
誰のを観ても、どの瞬間どの角度からどうその人を観ても画面全部世界のすべてをその人だけが支配している、あの30秒間世界でいちばんカッコ良いのは唯一必ず絶対その人、なのがマジで魅せ方巧い人たちのやりくちだし、何よりやっぱりそんな凶器を解禁五分前にあんなノリとテンションでお知らせしてくるSixTONESサイコパスすぎる。やっぱりお前らオタク虐殺計画遂行してるだろ。

SixTONESは自分の魅せ方を自分がいちばんよくわかってる人たちの集まりだというのがたぶんスト担の認識なんだけれどもやっぱりそれは間違ってなかった。全員が全員、自分の思う『いちばんカッコ良い自分』を見せつけてくるスタイルはやっぱり健在だった。あれは完全に魅せ方の巧い人たちの作品だし、作品をつくるのが巧い人たちの作品だ。SixTONESだけでなく彼らを支えるスタッフさんたち皆が巧い人たちだ。最強の布陣じゃんね。音楽I.Qハーバード大って言ってたけどこんなん映像I.Qだってオックスフォード大だわ。前作に続き「CGでしか作れない映像」と「CGでは作れない映像」のマッチさ加減が絶妙すぎる。単純に(多分な贔屓目は入るけど)ひとつの作品として素晴らしすぎるんだよな…

狂った要因は色々あるけどやっぱりJ2の対比にいちばん""""やられた""""って思ったような気がする。普段ホットドッグ好きそうな笑い方をして一発ギャグを思いついてはいつでもテンションマックス生まれながらの陽キャパリピジェシーが無機質な表情で風に身を任せてゆっくりビルから落ちていくんだぜ? いや語弊があるな、無機質な表情というか… なんだろう、なんの感情を浮かべているのかわからないというよりも、なんの感情も浮かべていない気がするんだよな。ビルから落ちる、みたいな演技や気負いを一切せずにただただ一切の思考や取り繕いを放棄して(あるいはそんなことする必要もないのだとすべてを受け入れて)身を投げ出すそのうつくしさがね…………お前は平手友梨奈かってんだよ(わかんない方はYouTubeで映画『響』のメイキング見てください)。
 NAVIGATORの歌詞に「Drive in the dark, Go way to the light」ってあって、まあ「闇の中を行け、光への道を進め」みたいな意味だと思っとるんだが(間違ってたら超恥ずかしいこの歳にもなって英語の和訳も満足にできないことがバレるから)光への道を進めって言ってるのに否が応でも「死」を連想させるジェシーのビルからの落下がはさみこまれているの最高にぞくぞくする。それに対し自分から闇に飛び込む田中樹……ジェシーがなんの感情も浮かべずにただただ身を投げ出すだけだったのに対し自分から飛び込んでいく田中樹………思い出される「飛び込むBlue」………あめ〜じんぐ…………
あと個人的には田中樹が最初の方のカットで高いところから低いところをみくだしていたのがとても刺さったんだよな…あの絶対的覇王感…タダモノじゃない感……身を投げ出す(投げ出すっていうかなんていうかただただ「落下」していくっていうか)ジェシーと飛び込む田中樹、と、落ちてゆくジェシーとそれを見下ろす田中樹、的な対比もあそこにおると思うのです。ていうかここまできたら絶対裏設定的なのある。フル公開されたらオタクが簡単に死ぬやつ。つかたった30秒間の個人ティーザーでここまで屍を築き上げTLを更地にしていくSixTONESやべえな(今更か)。

それからわたしいちばん最初に出くわしたのが京本さんのティーザーだったんですけども、その時点で察してください。しょっぱなが京本大我ってヤバい、引きが良すぎる、なんなん?
京本さんのティーザー、お顔があまりにもよろしいことは前提なんだがそれ含めて顔がよく見えないのが意味ありげだよな…もともと儚い雰囲気を持ってる人だし(その中に一本しなやかな芯を内包してるけれども)顔が見えないという要素がそのただよう幻想感に磨きをかけてると思うんだがそれより何より田中樹と同じく下を見てるカットがあるってのがやばくないか…田中樹が下を見てる時は顔が見えないんだけど、他のカットではあんまり顔のよく見えない京本さんがそのカットの時は顔がよく見えるんだよな。なんの意味があるんだろう?なんの意味もないわけはないだろうけどなんの意味もなくても綺麗なんでオールオッケーだと思います。(ダメ)それからたぶん「Hey,you!」のところで指差し打ち抜きしてると思うんでだがあれは反則。反則です。現行犯逮捕。Amazing!!!!!!といいTelephoneといいあなたの指差し打ち抜きは拳銃の実弾よりも威力があるのだということを自覚してください、てかわかっててやってるだろ絶対。タチ悪りぃな!(褒めてます)(こうしてオタクは京本大我の掌の上で弄ばれるのです)(オタクいじめて楽しいか?)

松村北斗ティーザーはね〜〜〜〜もう""""天才""""だろとしか言いようが…無いよね…闇に佇む京本大我、闇に飛び込む田中樹、闇に落ちていくジェシー、そして闇を駆ける松村北斗…解釈一致の舞を踊っていいか?この激情どこに塗りたくればいい?
松村北斗、ダンスも歌い方も(良い意味で。特にダンスは)超癖強いじゃないですか。自分をいかに魅せるかってところに特化した人だと思うんですよブログとか読んでると地下水堀に行くんか?って思うレベルで自己肯定感の低い卑屈な人ですごいめんどくさくて人間臭い超芸能人向きじゃない性格してると思うんですけど、だからこそだと思うんだよな。故意か恣意かはわからんが自己肯定感が低いからとことん自分を研究して良いところを見つけ出す、その良さをより引き出すためにこれまた研究をする、みたいな。たぶんすごく自分を見つめるタイプ。だと勝手に思ってる。だからこそそんな松村の個人ティーザーには信頼しかなかったんですがやられました。吹っ飛びました。なーにが信頼や、わたしはまだ彼を侮っていた。わたしの予想など軽々超えて彼は魅せてきましたよ。なんなんだよ。闇を駆ける時の衣装の翻り方、ひかりの中で歌う時の髪の揺れ方、ゆびさきの伸ばし方まで全部松村北斗の意のまま。彼がこうしたいと思った通りに彼の体は動く、どれだけこまかい部位であろうとも。もはやあれは才能だろ。あと一ヶ所感情爆発させてるところがあったように見受けられたんですけどあそこはソロパートですか?サビですか?なんにせよとってもたのしみです🖤(こんな余裕は本当はない)

髙地さん。髙地さんは、だから言ったじゃん(言ってない)SixTONESの隠し玉は誰でもない髙地さんなんだよ!!!ていうか髙地さんは何人目の髙地さん?(これ TLで話題になってた聞き方)JAPONICA STYLEのMVの髙地さんともAmazing!!!!!!の髙地さんともJungleの髙地さんとも違う髙地さん。みたことのない髙地さんなのにあれはたしかに髙地さん。何?雰囲気自由自在か?アンニュイな表情でどこかを見上げる髙地さん、とてもこじらせてしまいますね……照明のぐあいとも相まって髪色が暗めに見えるのでその分の破壊力も半端ではない…ってか日々笑顔をつねにかかげあの不良集団(語弊)の中でいちばんアイドルをしている髙地さん、あざと警察にマークされてる髙地さん、なのに、ひかりの中でバチボコ煽ってくるの、心臓に、きますね………あと白い部屋とひかりの部屋で雰囲気があまりにも違う。白い部屋の中の髙地さんはわりと理性的で手で目を覆ったり壁に手をついたりしてるけどひかりの部屋ではこちらのこと超煽ってくるの、そのギャップがやばいですよね…極端なまでの二面性を見せられた感じ……でも白い部屋にいる時の髙地さんもひかりの部屋にいる時の髙地さんも目線があまりにも喧嘩腰なのすごく好きです。こちらをバチバチ敵対視してくる目線…ていうか髙地さんの煽り方、あまりにもサディスティックなんですよね、口の端だけ笑ってるんですよ目はマジなのに…口の端だけちょっと上げて手でこっちのこと引き寄せるんですよ、髙地さん、髙地さ……こじらせてまうでこんなん………………それから一貫して理性的だったin白い部屋の髙地さんが最後の最後でこちらに向けて指をクイッてしてくるのがあまりにも…他の五人と明らかに違う、髙地さんだけ白い部屋で感情を表出している…………最後の最後で理性の仮面を剥ぎ取った髙地さんの、髙地さんの………だめだこんなん髙地さんがいちばんやべえやん…だから言ったでしょSixTONESの隠し玉は髙地さんなんだってば!!!わかりやすい起爆剤は他の五人かもしれないけれど隠れていちばんヤバイのはいつもいつでも髙地優吾なんだよ!!!!!!!!

失礼取り乱しました。自担なもので。

森本慎太郎もヤバかった、な…ピアスゆらゆら綺麗だね…(I.Q0文書)いやホントに「きれいな青年」て感じしませんでした!?!?少年と青年のはざま、みたいな、妙な透明感…あと相変わらずダンスがお上手で……てかやっぱ彼の周りに重力なんて存在しないんだな、いつでもかろやかに彼は舞うんだな…なんかもう「森本慎太郎がきれいだった」しか感想が出てこない。あんなにきれいな森本慎太郎初めて見た…あ、あとわなしーや的な指差し打ち抜きはやっぱり反則です。森本慎太郎のわなしーや大好き民たちの鼓動と動悸を考えてください!!!!(いいぞもっとやれ)なによりも走ってるところがガチですごく良かったし野性味を感じた、そう、オラオラでもバチバチとも少し違うけれど彼がいちばん""野生""だったよな…てか野生ときれいが同居してるの天才でしかないのでは??最初のやたらしゃれた足の組み方でどこか高いところに座り一点を見つめる慎太郎、どこまでもおとこのこだし雄なんだけどやっぱりどこかあどけなくて、そこにきっと「少年と青年のはざま」的な妙な透明感を感じるんだろうな…わたしはJungleの慎太郎が大好きな人なんですが、あの慎太郎はよりこどもで、おさなくて、悪戯好きなやんちゃっ子って感じなんですよ。でもってJAPONICA STYLEの慎太郎もまだ少年なんですよ。この世の表も裏も知っているけれどまだ少年で成熟してないんですよ。言うなればヤクザの舎弟的な…子分的な…で、Imitation rainの慎太郎もまた少年なんですが、でもいつまでも少年のままではいられないと気付いてしまった少年なんですね。で、今回のNAVIGATORの個人ティーザーの慎太郎は少年のからを破り始めたんですよ、その違いがあまりにもダイレクトに脳に響いて…とくにひかりの部屋の中では挑発的に舞い感客を煽りどこまでも場を引っ掻き回す悪魔みたいな顔をしてて、自分の行動が秩序を乱すことを知ってるくせにあえて行動に移すことによりその場がどのように変革されるかを楽しんでるような、もう計画的犯罪を実行している大人の顔をしてましたよね…おとなに、なるんだな…芸歴も長くて芸能界の残酷さを誰よりも知ってる慎太郎が今まで故意か恣意かはわからんが(なんとなく故意的な気がする。More100問100答でも自分の分のことビジネス自由人つってたし)少年でいられたことも驚きだけれど、その慎太郎がいよいよ少年から青年になるんだな………ハァ……………

ていうかデビューシングルをあんなビッグネームにプロデュースしてもらってきっとセカンドのハードル超高かったはずなのにハードル何それ美味しいの?レベルでクオリティ激ヤバ高えもんを差し出してくるSixTONESとスタッフさん、信頼しかなくないか?プロじゃん…デビュー曲ではずぶ濡れになりセカンドシングルではビルの狭間に身を投じるSixTONES、サードでは何します?潮干狩り?

やたら話し込んでしまった。何が言いたいって、SixTONESが優勝なのはもちろんのこと、制作に携わっている方々が彼らの強みを理解して、いかに良さを引き出すかに賭けてくれたことがわたしはとても嬉しかった。誰よりもスポットライトを"スポットライト"にする彼らにあえてスポットライトをあてなかったのも、そうして闇の中で生々しい生を表現させたのも国宝優勝大天才。誰よりもスクールカースト上位に位置しひかりの似合う六人組が闇をまとってヒールに徹するの、マジでオタクのツボをわきまえすぎてて……ソニーさん、これいつ売ります?

総評としては、これ絶対オタクの好きなやつだからすべてのオタクは今すぐSixTONES NAVIGATORの個人ティーザーを鼻から吸って、わたしと語り合ってください。リンクなら下に貼っときますから。






髙地優吾


田中樹



追記:田中樹のソロティーザーで彼が不穏に笑ってた箇所は明らかにラップしながら不敵に笑いこちらを煽るシーンでした、長尺公開されました、7月22日発売です、みんな、墓を建てよう



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結成日に寄せて


結成日に寄せて



5月1日が推しグループの結成日ということで、ちょっとつらつら彼らについて書いてみようかななどと思った。彼らとは、今をときめく新生ジャニーズアイドルSixTONESのことである。五年前の今日、6人集まって結成したのだそうだ。


推しだというのになんだか口調が他人行儀なのは、わたしがハマったばかりのドドド新規だからである。SixTONESについて言及する前に少しだけわたしというハイパー・キモ・オタクについて説明すると、わたしは元々二次元のオタクだった。某バレーボール漫画と某遅効性SF漫画が大好きな。加えてPerfumeが好きなオタクだった。いや現在進行形で好きだけど。なんならこないだFuture popツアーのライブ映像観て号泣したけど。それから欅坂46も好きだった。秋元康は大嫌いだけれど、これじゃいやだこんなわたしは嫌だそんなわたしを押し付けて来る大人はもっと嫌いだと泣いて喚いて刃を振るって指を突きつけ絶対に成立しない革命を起こすもろくてきれいな女の子達が好きだった。卒業した推しメンがおとといあたり次々SNSを解禁し処理しきれない多幸感が波のように押し寄せて来て一ヶ月ぶりにともだちと長電話をしてしまったところだ。つまるところわたしは女の子が好きだった。恋愛対象というよりは崇拝対象として。転じて、好きになる芸能人もみんな女性だった。ジャニーズにしても、SMAPは曲が好きだから今も昔もよく聴いているけれど、まったくもって興味はなかった。


そんなわたしがなんでSixTONESにハマってしまったのか、恥ずかしい話だが全く覚えていない。YouTubeに上がっている彼らの動画を見ているうちにずぶずぶと沼に沈んでいったことは確かだが、何故彼らの動画を検索し閲覧する次第となったのか、そこのところが全く思い出せないのだ。怖。


ただ、はじめて彼らを見たときのことはよく覚えている。Perfumeが出るというので録画しておいた音楽番組に出演していたのだ。普段はPerfumeの出番が来るまでひたすら早回しをするのだけれど、「デビュー!次世代のジャニーズ!」とかなんとか銘打たれたコーナーがふと目についた。どうやらあのX JAPANYOSHIKIが作詞作曲を手がけたデビュー曲を歌うらしい。YOSHIKIともあろうお方が作ったのであればまず良い曲であるに違いないので、早回しの指令を出し続けるリモコンを止めて聴くことにした。なになに、Imitation rainとな。


そしてとても驚いた。お前は何様かと思うかもしれないが、ジャニーズもここまで来たか、と、本当にそう思ったのだ。


ジャニーズには興味はなかったとは先述した通りだが、わたしのタチの悪いところは興味はなかったが偏見はモリモリだったところだと思う。ジャニーズアイドルというものは、歌もダンスも中途半端で顔の良い王子様風の男の子達がキラキラ笑顔を振りまきながら投げキッスとかしてるんだろ、みたいなイメージを勝手に持っていて、それを頭から真実だと信じ込んでいたのだ。ジャニーズアイドルのパフォーマンスをまじまじ見たことが無かったというのもある(SMAPはCD買って曲だけ聴いてたし)。だからSixTONESがわたしの初ジャニーズといっても過言では無いんじゃないかなと思う。そんなわけでわたしは非常に衝撃を受けた。まずジャニーズにしては歌がうまい。いや、ほんと、歌がうまい。語彙力どこやったお前。あと顔が良い。こんな顔の良い男たち二次元でしか見たことねえよ。それからスタイルが良い。わたしにはいわゆる長身イケメンの部類に入る兄が居るのだけれど、なんかうちの兄と同じぐらい背の高い人ばっかじゃね?ていうか体の半分足じゃね?その足なんだけどやたら細くね?画面を注視すればするほど「二次元から抜け出て来たのかお前ら?いやそもそもこれは現実なの?オタクが作り上げた妄想と狂信に基づく集団幻覚のたぐいではなく?」というお気持ちが強まって、結局3周ぐらい連続して観てしまった。彼らは圧倒的だった。そして鮮烈だった。絶対的なまでに暴力的に、そして間違いなく、そのときの世界の支配者は彼らだった。小さなテレビの中の狭いフロア。そこがまるで彼らの司る帝国のように見えた。

衝撃の抜け切らないまま後日パソコンでSixTONESについて検索した。そしたら一本のMVが出て来た。あの曲だった。もう深夜だったからイヤホンで聴いた。そして、もう一度あの衝撃を味わった。イヤホンで聞くことによって、その衝撃はより克明になった。ハモリの多さ。ハーモニーの美しさ。タイプの違う声の数々が重なり合って生まれる音楽が、ワンフレーズごとに丁寧に脳に染み込んでいく感覚だった。あと吐息ラップ。何はともあれ吐息ラップですよ。あそこはヤバイだろ。イヤホンで聴いて撃沈したわ何あれ。左右の耳から息を吹きかけられてるみたいな感じがして背中が変に震えたわ。喉から変な声出たもん。MVじたいも、これほどまでに壮大な世界観を持つ楽曲であれば色々とやりようはあるだろうに、あえてセットをしぼったシンプルな舞台を設定していて、それがとても良い方向に作用していた。引き算の果てにたどり着いたのであろう画面には、ただただ曲の良さと彼らの美しさが広がっていた。


さながら革命のようだった。彼らはただ、楽曲の良さと己の歌唱力と、確固たる世界観のみで勝負をしようとしている。そしてそんな彼らが、なによりも美しい存在だった。


そこで怖くなった。これはヤバイと思った。たぶんわたしが大好きなやつだこれ。それは間違いない、ビジュアルも声質も世界観も好みでそもそもこの曲が大好きだ。でもたぶんハマったらもう戻れない。これなしでは生きていけなくなるような予感がする。マジで。ただでさえのめりこみやすいわたしが、こんな明らかにヤバそうな沼に浸かって無事でいられるはずがない。そう考えて、だからわたしは一旦、SixTONESとの関係を切ったのだ。なんかめんどくさい彼女みたいだな。


それからなんだっけ。カウントダウンTVだっただろうか?衝撃の出会いからずいぶん経って世の中が新型コロナで騒がしくなってきたころ、塾帰りの電車の中でトレンドを覗いたら、「Telephone」という文言が結構な数つぶやかれていて、電話がなんじゃいなと思いながら見てみた。そしたらまさかのSixTONESだった。マジか。SixTONES今度は何やったんだ。何やったって、まあ音楽番組に出演して歌を歌ったらしい、ほうほう。とりあえず出てきたツイートに添付されていた動画を再生した。


そのときの心情をスローガンとするなら、もうこれ一択である。


衝撃、ふたたび。


いやもういい意味でなんだこれ、って感じだったのをよく覚えている。電車の中で興奮して仕方がなかった。こいつらは、なんだ。儚く美しくバラードを歌い上げていたあの6人と本当に同一人物か?電子音バキバキのサウンドの中、不敵に笑ったり吠えたり跳んだり、なんだ、野生とも雄ともセクシーともワイルドとも形容しがたい、とんでもない中毒性を伴った空間が小さなスマホの画面の向こうに建築されていた。あのときの感覚は忘れられない。電車の中でつり革にも掴まらず、スマホを凝視して棒立ちしていた。そしてまた懲りずに思った。これがジャニーズか、と。


たぶんその次の日に、ひたすらSixTONESで検索かけて動画を漁ったのだと思う。たぶん。前述した通り覚えてないので、断片的な記憶をつなぎあわせて導きでたきっかけがこんな感じである。ちなみに言えば、この時散々味わったかに思われたその衝撃は、この後怒涛の勢いでわたしに訪れた。しかも二倍三倍にも増幅して。こいつらのギャップで水力発電できるとわたしは確信した。だってAmazing!!!!!!でひたすら色気を振りまいていた松村北斗は普段はしば犬わんこだし、Imitation rainで形容しがたい儚さをまとっていた髙地優吾は縄持つとSだし(縄持つとSってなに?)(深く突っ込むな)、Telephoneであまりにもセクシーすぎる腰振りを披露してみせた田中樹は頼れる仕切り屋…と思いきや鹿に怯えて最年少にすがりつくし、キレッキレのダンス番長森本慎太郎はギャグマシーンだし、安定したやわらかみのある高音で会場を包み込むジェシーはAHAHAだし、表現と歌唱にすべてを注ぎ込む京本大我は世間知らずのお坊ちゃんときた(もちろん全員それだけではないけれど)。6人揃えば場はカオス、個人個人でもクセが強く、ほんとにここには成人男性しかおらんのか?男子高校生の間違いじゃないのか?と錯覚するほどのわちゃわちゃっぷりを発揮する。それでいて、6人みんなメンバーのことが大好きで、このグループのことが大好きで、お互いへの信頼と尊敬とにあふれている。なんて素敵な関係性なんだろうと思った。そのうちに、グループ結成前に彼ら6人でドラマをやっていたことを知った。いったんばらばらになって、その後もう一度6人でやりたいと願ってグループを組んだことも。いやもうどこの少年漫画ですか??本当に二次元から抜け出てきたんか?あれやっぱり集団幻覚?……いや頰痛いわ現実だわ。芸能界という競争のはげしい世界の中で、一度集まった仲間ともう一度結集することができたのはまさに奇跡だと思う。そして彼らはその奇跡を日常にするために、これまで頑張ってきたのだろうな。


原石。彼らは、自分たちはまだ原石だと歌う。ファンはもうあんたら宝石と言う。宝石は光をあてる角度によってきらめき方が変わるけれど、彼らもまさにそういう存在だと思う。儚く叙情的、あるいは野生的でパワフル、もしくは妖艶で耽美的、それでいて奔放で、ひたすらに明るい。多くの顔を持つ彼らがこの先どのような歌をどのように歌っていくのか、どんな一面を開拓していくのか、わたしはとてもたのしみだし、彼らなら必ずもっと素晴らしいものを見せてくれるだろうと思う。彼らは革命家で、開拓者で、そして国王だ。絶対的にわたしたちを導き、暴力的なまでに圧倒的に君臨する最高で最強の6人だ。彼らに出会えたことは間違い無くわたしの人生において最も価値のある出来事のひとつだし、彼らが彼らとしてこの世に存在していることに言語化できないほどおおきな喜びを感じている。そして、SixTONESに出会わせてくれたSixTONESのファンの方々に心の底から感謝したい。あのたくさんのツイートがなければわたしはこんなにも彼らを好きにはならなかった。トレンド欄に燦然と輝いていたTelephoneの文字、あれがわたしの本当の意味でのSixTONESへの入口だった。わたしをこんなにも素敵な6人と出会わせてくれて、本当にありがとうございます。


ずいぶん長くなってしまった。新参者がつらつらと知ったような口をきくのは堪え難いことだと思うのでこの辺で締めたいと思う。


最後にSixTONESの6人へ。今まで、この5年間、色んなことがあって、沢山の思いを味わって、デビューに関しても一悶着あって、それでもSixTONESでいることを選んでくれてありがとう。わたしはあなた方に出会えて本当に本当に毎日しあわせです。どうか、あなた方の未来に幸あれ。光あれ。この世の全ての喜びが、SixTONESの為に在りますように。